………」
 羽振医学士の顔がサット青くなった。どうやら知っているらしい眼の玉の動かし方だ。
「知らん筈はないじゃろう。あの家《うち》の犬ということを」
「存じません。ドコの犬だか……貴方がどこかからかお持ちになったのですから……」
「この犬は山木テル子さんの犬だよ」
「ヘエ、山木テル子さん……存じませんな、ソンナ方……」
「ナニ知らん……」
「ハイ、まったく……その……」
「ウン、キット知らんか……」
「……ぞ……ぞんじません。そんな方……まったく……」
 博士の卵が汽車の信号みたいに青くなったり赤くなったりした。しかし汽車の信号でも何でもモウ相場がきまっている。自分が結婚を申込んだ女の名前を忘れるようなウンテレガンが在るもんじゃない。コイツは多分、この犬の名前がウータといって、自分の恋敵《こいがたき》、唖川歌夫からテル子嬢に贈ったものである事もチャンと知っていやがるに違いない。そいつを承知でコンナ非道《ひど》い眼に合わせて、いい気持になっている事が吾輩にわかったら事が面倒だと思って、障《さわ》らぬキチガイ祟《たた》りなし式に、最初から警戒しいしい口を利いているのだろう。コンナ誠意のな
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