ら今のお嬢さん達もこっちへ這入って火に当らせたらどうだい。相手は俺だから構うことはない。裸体《はだか》ズレがしているルンペン様だから恥かしい事はないよ。素裸体《すっぱだか》の方が気楽でいいんだ。序《ついで》に生命《いのち》の洗濯をさしてやろう。面白い話があるんだから……」
「オホホ。あの子たちは今日お天気がいいもんですから、お客の少ない昼間のうちに申合せて着物のお洗濯をしているのですよ。その着換えが御座いませんので、仕方なしにゆもじ一つでストーブへ当っておりますところへ、先生が入《い》らっしたもんですから、ビックリして逃げて行ったので御座いますよ。ホホホ。でもねえ、まさか先生の前に裸体で出られやしませんからね、若い女ばかりですから……」
「馬鹿云え。先祖譲りの揃いの肉襦袢《にくじゅばん》が何が恥かしいんだ。俺だってこの二重マントの下は褌《ふんどし》一つの素っ裸体なんだぞ。構わないからみんなこっちへ這入らせろ」
「ホホホホホホホホホ。かしこまりました」
 女将は嬌笑しいしいイソイソとコック部屋へ引上げると間もなくポーンと瓦斯焜炉《がすこんろ》へ火の這入る音がした。この家《うち》の支那料理は女将が自身で作ると見える。序《ついで》にヒソヒソと女達へお説教をしている声がハッキリと聞えて来る。
「サアサアみんな先生の処へ行っといで。あの先生を知らないのかい。鬚野先生と云って有名な方だよ。トテモさっぱりしたお方なんだよ。弱い女や貧乏人の味方ばっかりしておいでになる福の神様なんだよ。先生に顔を見覚えて頂くだけでキットいい事があるんだよ」
「だって女将さん……」
「何ぼ何だってこのままじゃあんまりだわ」
 吾輩は隙《す》かさず立上って怒鳴った。
「ナアニ構わん構わん。そのまんまでこっちへ這入れ。お前たちと話してみたいんだ。俺が今引受けている素敵なローマンスの話をして、お前たちの意見を聞いてみたいんだ。這入れ這入れ。這入ってくれ。風邪を引くぜ」
「……ほら……ね。あんなに仰言るんだから構わないんだよ。あの先生は人間離れした方なんだから。恥かしい事なんか無いんだよ」
「さあさあイラハイイラハイ。大人は十銭、子供は五銭、ツンボは無代償《ただ》。吾輩がこれから自作の歌を唄って聞かせる。ルンペンの歌だ。裸ん坊の歌だ。昭和十年の超人の歌だ。エヘンエヘン。さあさあ這入って来たり這入って来たり。
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ああああああああア
歌が聞きたけあア――野原へお出《い》でエ――
青空の歌ア――恋の歌ア――
あああああああア
生命《いのち》棄てたけア――満洲へお出でエ――
遠い野の涯エ――河の涯エ――
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 アハハハハ。どうだい。いい声だろう。出て来なけあ、まだまだイクラでも唄ってやるぞ。ハハハハハ」

 ソッと聞いていた女たちが、一人一人恐る恐る眼をマン丸にして這入って来た。吾輩の歌に感心したらしく、気抜けしたような恰好で、吾輩の周囲《まわり》を取巻きながら、椅子に腰を卸《おろ》した。
 そうして一心に吾輩の姿を見上げている半裸の若い女たちの姿を見まわすと吾輩は、森の妖精《ニンフ》に囲まれた半獣神《パン》みたような気持になった。
「いい声ねえ。おみっちゃん」
「上海《しゃんはい》にだって居ないわ」
「惜しいわねえ。コンナに町をブラブラさして……ホホ」
 ……ソレ見ろ……と吾輩はすこし得意になった。イキナリ椅子から立上って山高帽を冠り直したもんだ。
「エエ。こちらはJORK東京放送局であります。只今……エート……只今午後二時二十七分から、支那料理が出来上ります。空腹のお時間を利用して、昼間演芸放送を致します。演題は『街頭歌二曲』、最初は野尻雪情《のじりせつじょう》氏作『銀座の霧』、次は南原黒春《みなみはらこくしゅん》氏作『赤い帽子』、デタラメ・レコード会社専属鬚野房吉氏作曲、自演……了々軒ストーブ前から中継放送……誰だい手をタタク奴は。
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   銀座の霧
夜の銀座にふる霧は ほんに愛《いと》しや懐かしや
敷石濡らし灯《ひ》を濡らし 可愛いあの娘《こ》の瞳《め》を濡らす
夜の銀座にふる霧は ほんに嬉しや恥かしや
帽子を濡らし靴濡らし 握り合わせた手を濡らす

   赤い帽子
この世は枯れ原ススキ原 ボーボー風が吹くばかり
赤い帽子を冠ろうよオ――
赤い帽子が真実《ほんとう》の タッタ一つの泣き笑い
道化踊りを踊ろうよオ――
ああくたびれた」
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「お待遠《まちどお》様。やっとお料理が出来ました。御酒《ごしゅ》は何に致しましょうか。老酒《ラオチュ》、アブサン、サンパンぐらいに致しましょうか」
「ウワア。そんなに上等の奴はイカン。第一|銭《ぜに》が無い」
「オホホ。恐れ入ります。御心配なさらなく
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