感ず。武士は己《おのれ》を知る者のために死すだ。考えてみると吾輩というこの人間の廃物を拾い上げてくれた奴は、次から次に、吾輩のために非業《ひごう》の死を遂げて行くようだ。最初が木乃伊《ミイラ》親爺、その次が有閑夫人亜黎子、いずれも吾輩と似たり寄ったりの廃物揃いであったが、今度はどうして廃物どころじゃない、日本第一の法医学者、鬼目博士と来ているんだから間誤間誤《まごまご》しているとこっちが位《くらい》負けして終《しま》うかも知れない。むろんこっちでも恩を仇《あだ》で返す了簡《りょうけん》なんか毛頭無いんだが……とにもかくにも吾輩の博士製造業……往来の犬生かし事業は、こうして天狗猿の鬼目博士から授《さず》かったものなんだ。

     ウンコ色貴婦人

 そうだよ。目下のところ、吾輩は犬が専門だよ。以前《もと》は猫もやっていたが、アイツは中々手数がかかるんだ。
 猫という奴は芸者と同様ナカナカ一筋縄では行かない。ニャアニャアいって御機嫌を取るようだが、元来は猛獣なんだからそのつもりでいないと非道《ひど》い目に会う。その猛獣一流のハッキリした個人主義を伝統していて、自分以外のもの一切を敵と心得ている奴が猫だ。物蔭から「フッ」というと間一髪の同時に身構えるという、講道館五段以上の達人だから容易な事では手に合わない。もっとも蝮《まむし》を手掴みにする商売人も居るんだから練習すると相当に掴めるんだが、持って帰るのが面倒だ、中々マントの内ポケットにジッとしてなんかいないんだから袋の口を釦《ぼたん》で止めとかなくちゃならん。
 だからコイツは釣るの一手だ。何でも構わないからコマギレを引っかけた釣針に糸を附けた奴を、人通りの無い横露路か何かで、適当な猫の隠れ場所の在る近くに結び付けておくと、奴《やっこ》さん、散歩の序《ついで》に通りかかって引っかかる。チクリと来ると吐出《はきだ》すが又、喰う。そのうちに鈎《かぎ》が舌に引っかかるんだが、引っかかったら最後、決して啼かないから妙だ。
「ミイやミイや」
 なんて抱主《かかえぬし》が探しに来てもジイッと塵箱《ごみばこ》の蔭なんかに隠れてしまうからナカナカ見付からない。頃合いを見計らって、そいつを拾ってまわると一日に五匹や六匹は間違いない。釣針に附いた糸をマントのボタンに捲付《まきつ》けておけば神妙に黙ったまま藻掻《もが》いている。
「まあまあ可愛相《かわいそう》に……コンナ非道《ひど》い事をして……ジッとしておいで、外《はず》して上げるから。イクラお肴《さかな》を盗んだってアンマリじゃないか。死んだら化けて出ておやり。憎らしい……」
 なんていうのには百の中《うち》一つも行当らない。
 もう一つ猫をやめた理由は、ドウも犬と猫との間に需要、供給の不公平があるらしい。犬の余り物の方が実際上、猫よりも遥かに多いんだ。
 俗に三味線太鼓といって三味線は猫の皮、太鼓は犬の皮ときまっているらしいが、猫の皮は日本国中、自惚《うぬぼれ》と瘡毒気《かさけ》の行渡る極み、津々浦々までペコンペコンとやっているが、太鼓の方はそうは行かない。イクラ非常時だからといったってあっちへドンドンこっちへドンドンやっていたら日本中が「お月様イクツ」になってしまう。だからワンワンの廃《すた》り物の方がニャアニャアのルンペンよりも遥かに多い訳だ。
 尤《もっと》もいくらワンワンだって、無鑑札の廃物ばかりを狙っている訳じゃない。時には必要に応じて有鑑札のパリパリを狙う事もある。コイツは極く内々の話だがトテモ珍妙な事件が在るんだ。ツイこの頃の事だ。
 今云った天狗猿博士の乾分《こぶん》で、法医学の副手をやっている男が、是非とも中位のセパードが一匹欲しい。軍用犬の毒物に対する嗅覚と、その毒物に対する解剖学上の反応を調べてみたいのだが、ナカナカ手に入らないので困っている。金は十円ぐらいまで奮発するから一つやってくれ。鬚野先生以外にお頼みする人が居ないのだから……と恐ろしく煽動《おだ》てやがったから特別を以て引受けてやった。
 そこでその副手から鋭利なゾリンゲン製の鋏《はさみ》を一挺借りて、その日一日中と、あくる日の夕方までかかって市中の屋敷町という屋敷町をホツキ歩いたが、誰でも知っている通りセパード級の犬になるとどこの家《うち》でもナカナカ外へ出さない。タマタマ出していてもゾッとする位大きな奴だったり、頑丈な男が鎖で引っぱっていたりして注文通りの奴に一度も行当らない……これでは日当にならない。ほかの雑犬《ざっぱ》を漁《あさ》って数でコナシた方が割がいい。これ位で諦らめて鋏を返してしまおうか知らんと胸算用をしいしい来るともなく、市内でも一等繁華な四角《よつかど》の交叉点《こうさてん》へ来てて、ボンヤリ立っているうちに、居た居た。生後三箇月ぐらいの手頃
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