モシモシイ。唖川伯爵様のお宅でいらっしゃいますか。ハイハイ、コチラはねえ、アノこちらはねえ、大学前の自働電話で御座いますがねえ……ハイハイ。私はねえ、唖川様の若様を存じ上げております女で御座いますがねえ……」

     貞操オン・パレード

「あのモシモシ……私は或る女で御座いますがねえ。ホホホ。それは申上げかねますがねえ。アノ若様は……そちらの小伯爵様は只今、御在宅でいらっしゃいますか。……ハイハイ。あの三週間ばかり前から御不在……あら、左様《さよう》でいらっしゃいますか……どうも相《あい》すみません。こちらはアノ。その若様の代理で御座いますがねえ。ハイ間違い御座いません。それでお電話を差上るので御座いますが……その若様の御身《おみ》の上について大切な御報告を申上げたい事が御座いますので……ハイハイ。どうぞ恐れ入りますが伯爵様へ直接にお取次をお願い致したいので御座いますが……ハイハイ。かしこまりました……」
 女将は平手で電話口を蔽《おお》いながら、吾輩をかえり見てニタリと笑った。
「何だ小伯爵は失踪してるのかい」
「ええ。そうらしいんですよ。唖川《おしがわ》家は大変な騒ぎらしいんですよ。今出て来た三太夫《さんだゆう》の慌て方といったらなかったわ」
「ウム。よく新聞記者に嗅付《かぎつ》けられなかったもんだな」
「まったくですわねえ。でもコッチの思う壺ですわ」
「ウム。面白い面白い。その塩梅《あんばい》では秘密探偵か何かがウンと活躍しているだろう」
「ウチ鬚野先生をスパイじゃないかと思ったわ」
「シッシッ」
 女将が又電話口で話を始めたので皆シインとなった。
「あの……伯爵様で御座いますか。お呼立ていたしまして、ハイハイ。かしこまりました。それでは直ぐにこれからお伺い致します。イエイエ。決して御心配なことは御座いません。何もかもお眼にかかりますれば、すっかりおわかりになりますことで……あの誠に恐れ入りますが、わたくしお宅を存じませんから、そちらのお自動車を至急に大学の正門前にお廻し下さいませんでしょうか。あそこでお待ちして手をあげますから、ハイハイ。お自動車は流線スターの流線型セダン。かしこまりました。では御免遊ばしまして……」
「巧いもんだなあ。流石《さすが》は凄腕だ。上海仕込みだけある。流線スターといったら、東京に一つか二つ在る無しの高級車だぜ」
「アラ、乗ってみたいわねえ」
「ウフ。乗せてやるから一緒に来い」
「あたしも乗りたいわ」
「ウム。みんな来い。モウ着物は乾いたろう」
「アラ、厭な先生、乾《ほ》してんのは普段着よ。晴着はチャント仕舞ってあるわよ」
「ヨオシ。出来るだけ盛装して来い。貞操オン・パレードだ」
 女たちが鬨《とき》の声を揚げて喜んだ。
「鶴子さん。アンタはね、洋装がいいわ。出来るだけ毒々しくお化粧しておいでよ。伯爵様にお目見えするんですから……」
「アラ、女将さん。あたし怖いわ」
「怖いことあるもんですか。その方がいいのよ。妾《わたし》に考えがあるんですから……」
 鶴子というのは一番最初に吾輩に口を利いた一番若い美しい娘であった。
「まあ先生。ソンナに酔払って大丈夫?」
「大丈夫だとも。酔っている真似は難かしいが、酔わない真似なら訳はないんだ。キチンとしていれあいいんだからね」

     禿頭変色

 吾々一行の姿を他人が見たら何と云うだろう。
 葬式自動車みたいな巨大な箱車の中《うち》に、令嬢だか、女給だか、籠抜娼妓《かごぬけしょうぎ》だか、マダム・バタフライだか、何が何やらエタイのわからない和洋服混交の貞操オン・パレードがギッチリ鮓詰《すしづ》めになっているその中央に、モダン鍾馗《しょうき》大臣の失業したみたいな吾輩が納まり返っているんだから、何の事はない一九三五年式大津絵だろう。
 その一団を乗せた流線型セダンが音もなく辷《すべ》り出すと、吾輩は急に睡くなってグーグーと居睡りを始めた。自分の鼾《いびき》の音が時々ゴウゴウと聞こえる。女たちのクスクス笑う声を夢うつつに聞いている中《うち》に自動車がピッタリと止まったので、吾輩は慌てて女たちの膝を跨《また》いで一番先に飛降りて扉をパタンと締めた。
「お前たちはこの中で暫く待ってろ。吾輩が談判の模様によって呼込んでやるから……」
 と云い棄てるなりフラフラしながら玄関の石段を上った。待っていたらしい唖川家の家令だか三太夫だか人相の悪い禿頭《はげあたま》が、吾輩の姿を見ると眼を剥《む》き出して睨み付けた。睨み付けるのも無理はない。オリイブ色の声なんかどこを押したって出そうな面構えじゃない。たしかに人間が違っているに相違ないのだから……。
「貴方は……何ですか……」
「老伯爵閣下に会いに来た人間だ」
「……ナニ……」
 と云うなり禿頭が腕をまくった。柔
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