ギャアギャアワンワンニャーニャーガンガン八釜《やかま》しい事|夥《おびただ》しい。その中でも犬の鳴声が圧倒的に大多数なのは吾輩の努力が与《あずか》って力がある訳で、心強いことこの上なしだ。その金網籠の一つ一つに、それぞれ所有主《もちぬし》の木札が附いている奴へ、番人が、それぞれに餌《え》を遣っている。この番人が犬や猫へ遣る御馳走をチョイチョイ抓《つま》んでいる事実を知っているのは吾輩だけかも知れないが、しかし又、こいつが居ないと、博士の卵連中が、研究室とかけ持ちで動物の世話をしなくちゃならないのだから文句は云えない。吾輩みたいに無代価で攫《さら》って来たシロモノを売りつける癖の附いた人間から見れば、この金網の番人なぞは、よっぽど尊敬していい訳だ。だから吾輩はいつでも出会うたんびに山高帽をチョッと傾けて敬意を表する事にしている。上には上があると思ってね。
ところでその金網籠に附けた木札を覗きまわってみると在った在った。ハブリと片仮名で書いた木札を附けた犬の籠が片隅に十ばかり固まっている。どうも恐ろしく犬ばかり集めたもんだと思ったが、よく見るとドレモコレモ見覚えのある犬ばかりだ。果然、羽振医学士閣下は吾輩の上華客《じょうとくい》だった事を思い出した。ブルテリヤ、狆《ちん》、セッター、エアデル、柴犬なぞ。飼犬の豪華版みたいだが心配する事はない。どれもこれも純粋種なんか一匹も居ないのだからヤヤコシイ。いい加減というよりも寧《むし》ろミジメな位の混合種ばかりが、尻尾振り合うも他生の縁という訳でギャンギャンキャンキャン吠え合っていたものだが、そいつが吾輩の顔を見ると一斉に吠えるのを止めて、尻尾を振り振り金網に立ちかかって来た。
吾輩は胸が一パイになった。タッタ二時間、三時間のおなじみでもチャント記憶しているから感心なものだ。勿論、吾輩の顔や風態を見覚えている訳ではなかろう。亜歴山《アレキサンデル》大王は身体に薔薇《ばら》の臭いがしたという位で、吾輩みたいな偉人の体臭は、犬にとっても忘れられないものがあると見える。
その中にタッタ一匹、歓迎の意を表しない奴が居る。隅っ子の特別の金網に入れられて息も絶え絶えに屁古垂《へこた》れている汚ならしいフォックス・テリヤだ。見忘れもしないこの間、山木|混凝土《コンクリート》氏の玄関前から掻《か》っ攫《さら》った一件だ。
色男
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