を高うして可なりだ。つまり吾輩の人格が、全人類を押え付けている……吾輩が、こうしてボロマントを着て、ハキダメから拾った片チンバの護謨《ごむ》靴を引きずって、往来をウロウロしている限り世界の外交界はこの「鬚野房吉《ひげのふさきち》博士」の存在を無視する訳に行かんと考えている……吾輩を目して新興日本のマスコット……松岡全権以上の偉人として恐れ戦《おのの》いていると云うのか……。
 アッハッハッハッハッ……宜しい。大いに宜《よろ》しい。気に入ったぞ。それでは一つ吾輩の正体を明らかにして全世界三十億の蛆虫《うじむし》共をパンクさせてくれるかな。とにかく向うの草原《くさばら》へ行こう。あの大きな土管の中で話そう。イヤイヤ。原稿料なんか一文も要らん。上等の日本酒と海苔《のり》と醤油があれば宜しい。鮠《はや》の生乾《なまび》が好きなんだが、コイツはちょっと無かろうて……。

     感化院脱出

 世間の奴はよく吾輩をキチガイキチガイというが、その位のことはチャンと考えているんだよ。吾輩の過去といったって極めて簡単だ。両親の名前や顔は勿論のことそんなものが居たか居なかったかすら知らないんだから多分、精神的にも物質的にも生れながらのルンペンなんだろう。孫悟空と同じに華果山《カカサン》の金の卵から生れた事だけは確実……だろうと思うんだが……アハハ洒落《しゃれ》じゃないよ。
 それから十四の年《とし》にO市の感化院を脱出《ぬけだ》して無一文で女郎買いに行った。ドッチも喜ぶ話だから多分、無料《ただ》だろうと思って行ったのが一生のアヤマリ。女郎屋の敷居を跨《また》がないうちに吾輩の帯際《おびぎわ》を捉まえて、グイグイと引っぱり戻した奴が居る。鯉のアタリよりもチット大きいなと思って振返ってみると、タッタ今表口に立って……イラッシャイイラッシャイをやっていた豚みたいな男だ。感化院を出がけに兄貴分から注意されて来た牛太郎《ぎゅうたろう》という女郎屋の改札|掛《がかり》はコイツらしい。聞いた通りに派手なダンダラの角帯《かくおび》を締めていやがる。
「オイ、兄さん。銭《ぜに》を持っているかね」
 と云ううちにその改札屋が吾輩の襟《えり》番号をジイッと見やがった時にはギョッとしたね。アンマリ気が急《せ》いていたもんだからウッカリして引剥ぐのを忘れていたもんだが、見破られたと思ったから吾輩はイキナリ焼
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