られているんでゲスから子供に捕まったバッタみてえなもんで……ウッカリすると手足が※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》げそうになるんです。
「そんなら今一つ面白いものを見せましょう」
と云うと今度はその小窓と反対側の低い扉《ドア》を開けて、そこに掛かっている鉄の梯子《はしご》伝いに奇妙な眩《ま》ぶしい広い部屋へ降りて来ました。日本へ帰って来てから早稲田大学へ仕事をしに行った時にヤットわかりましたが、あれが水銀燈というものだったのですね。部屋のズット向うの隅のアーク燈みてえな眩《まぶ》しい、妙な色の電燈が一つ点《つ》いているキリなんですが、その光りで見るとカント・デックの顔色から自分の手の甲の色までも、まるきり死人のような鉛色に見えるんです。それでなくともあっし[#「あっし」に傍点]はサッキから死物狂いに暴れたアトで精も気魂も尽き果てておりましたので、カント・デックの片手に吊下げられたまま死人のように手足をブラ下げながらそこいらを見まわしますと、それはどこかの工場《こうば》の地下室としか思えません。コンクリートの天井と、床の間が頭の閊《つか》える位低い、ダダッ広い部屋になっているんで、ジメジメと濡れたタタキの上には机も、椅子も塵《ちり》っ端《ぱ》一本散らかっておりません。ただ向うの隅の水銀燈の下に、大きな大理石の臼《うす》みたようなものがあって、その中で天井から突出たモートル仕掛けの鉄の棒がガリガリガリガリと廻転しているだけなんです。つまり特別|誂《あつら》えの大きな肉挽《にくひき》器械ですね。博覧会の中で見たことのあるソーセージ製造器械なんです。
しかしスッカリくたびれ切って、物を考《かんげ》える力も何もなくなっていたあっし[#「あっし」に傍点]にはソレが何の意味なんだかサッパリわかりませんでした。……ハテナ……蓄音機屋の地下室が、腸詰《ちょうづめ》工場になっているのか知らん。コンクリの床の上をズルズルと引き摺《ず》られながら、その臼の処へ連れて行かれましたが、別に怖くも何ともありませんでした。
けどもカント・デックに首ッ玉を押えられてその臼の中を覗かせられた時には、思わずゾッとして手足を縮めちゃいましたよ。その臼は、もちろん底抜けなんで、その底の抜けた穴の上にステキに大きな肉挽き器械のギザギザの渦巻きが、狼の歯みたいに銀色に光りながらグラグラグラと廻転しているのですから落っこったら最後、何もかもおしまいでさあ。頭から尻までゴチャゴチャになってしまうんですからドンナに有難いお経を聞かされたって成仏《じょうぶつ》出来っこありません。
「あなた。この中に這入ること好きですか……仕事しますかしませんか」
流石《さすが》のあっし[#「あっし」に傍点]も……流石でなくたってヘタバッちまいますよ。イクラ元気を出そう……好きじゃありません……と云おうと思っても身体《からだ》中がコンクリートみたいになってガタガタ震え出すんですから仕様がありません。お笑いになりますけどもその場へ行って御覧なさい。ナカナカそう平気でいられるもんじゃ御座んせん。自分が何を考《かんげ》えていたか、今でも記憶《おぼ》えていない位なんで、多分気絶する一歩手前だったのでしょう。タッタ一つ眼に残っているのはあの鉛色の水銀燈のイヤアな光りだけなんで……まったくあの陰気臭い生冷《なまづ》めてえ光りばっかりは骨身に泌みて怖ろしゅうがしたよ。ネオン・サインが極楽の光りなら水銀燈は地獄のアカリなんでしょう。生きた人間でも死人に見えるんですからね。今思い出してもゾオッとしちまいますよ。
そこへカント・デックが何か合図をしたのでしょう。ズット背後《うしろ》の方の薄暗い処の扉《ドア》が開《あ》いて、青い菜《な》ッ葉服《ぱふく》を着た顔中髯だらけの大男が一人トロッコをノロノロと押しながら出て来たんです。その時まで気が付かなかったんですが、その入口から肉挽《にくひき》器械の前まで幅の狭い軌道《レール》が敷いて在ったんで……その菜ッ葉服の男が押しているトロッコが、あっし等の眼の前まで来て停まりますと、そのトロッコの上に乗っているものの上に被《かぶ》せた白い布片《きれ》をカント・デックが取除《とりの》けました。そうして思わず「ワッ」と云って逃げ出そうとするあっし[#「あっし」に傍点]をガッシリと抱きすくめてしまいました。
それは若い女の丸裸体《まるはだか》の死体だったのです。しかもその小さな下唇を前歯で噛み破ったらしく鼻の下から乳の間へかけてベットリとコビリ付いている血が、水銀燈に照らされて妙に黝《くろ》ずんだ腮鬚《あごひげ》みたいに見えるのです。おまけにその右の手の中に何かしら大切なものを握り込んでいるらしく、シッカリと握り固めている上から左の手を蔽《おお》いかぶせてピ
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