方《あなた》のは露西亜《ロシア》巻でしょう」
「よく知ってるな。ハハア。匂いでわかったナ」
「イイエ。見てたんです。さっき注射なすった時にあの爺《じじい》のパジャマのポケットから……」
「シッ。フフフ……」
 突然列車が烈しくガタガタと揺れた。小郡駅構内の上り線ポイントを通過したのだ。車室の中が又真暗くシインとなってしまった。
 すると突然に列車の動揺にユスリ出されたような奇妙な声が、寝台の中から起って来た。それはカスレた金属性の、低い、老人の声で、しかもハッキリした日本語であった。夢のようにユックリと落付いた口調であった。
「日本の………、……、……、……、…………………諸君よ……諸君、民衆の民族的……のために……せよ……諸君……日本の…………が……土地……に目ざめ、成長する事を……のである」

「わかるかい」
 と青年ボーイの声……。
「わかります。ソビエットの宣伝でしょう」
 と少年ボーイの緊張に震えた声……。
「片山潜《かたやません》の口調だよ。これあ……」
「エッ片山潜……」
「そうだ。日本で××××運動をやって露西亜《ロシア》へ逃込んだ今年七十か八十ぐらいの老闘士だ。今東洋方面の宣伝係長みたいなものをやっている。彼奴《あいつ》の声だよ、これあ」
「どうしてわかります」
「この前コイツの宣伝レコードが日本に紛れ込んだ事がある。そいつを機密局の地下室で聞かせてもらったことがあるが、声までソックリだよ。人間レコードって恐ろしいもんだね」
「呆れた爺《じじい》ですね。その片山って爺《じじい》は……」
「ウン。あんまり学問をし過ぎちゃって頭が普通でなくなっているんだよ。医学上でヒポマニーという精神病だがね。普通の人間以上のことをしていなくちゃ生きていられないようになっているんだ。そいつを知らないもんだから日本の×の連中は片山潜といったら神様みたいに思っているんだ。ソイツを利用してソビエットが宣伝に使っているんだ」
「つまりこの声をレコードに移して、片山潜の肉声だと云って配るんですね」
「そのつもりらしいね。非道《ひど》い真似をしやがる」
 人間レコードの声は、なおも本物のレコードさながらに続く。
「……英仏の帝国主義政府は、日本のこの皇道精神の発露を公然と妨害しているが、これは単に自己の強盗的利益のために……支那分割の過程に割込んで新しい地域を掴む機会を得んとして
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