ったが、やがて極めて小さい、虫のような声で私に問うた。
「軍医大佐殿とはモウ余程離れておりますか」
「……ソウ……百|米突《メートル》ばかり離れております。何か用事ですか」
 候補生は答えないまま空虚な瞳を星空へ向けた。血の気の無い白い唇をポカンと開け、暫く何か考えているらしかったが、やがて上衣の内ポケットから小さな封筒大の油紙|包《づつみ》を取出して、手探りで私の手に渡して、シッカリと握らせた。
 しかし私は受取らなかった。彼の手と油紙包みを一所に握りながら問うた。
「これを……私に呉れるのですか」
「……イイエ……」
 と青年は頭を強く振った。なおも湧出す新しい涙を、汚れた脱脂綿で押えた。
「お願いするのです。この包を私の故郷の妻に渡して下さい」
「貴方《あなた》の……奥さんに……」
「……ハイ。妻の所書《ところがき》も、貴方の旅費も、この中に入っております」
「中味の品物は何ですか」
「僕たちの財産を入れた金庫の鍵です」
「……金庫の鍵……」
「そうです。その仔細《わけ》をお話ししますから……ドウゾ……ドウゾ……聞いて下さい」
 と云う中《うち》に青年は、両手を脱脂綿ごと顔に押し
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