に来ているのか汝等は知っているか」
「……………」
「……ただ自分達の負傷の手当のためにばかり来ていると思ったら大間違いだぞ。汝等のような売国奴同然の非国民を発見して処分するのが俺達、軍医の第一、第二、第三の責務である。負傷の手当てなどいうものは第四、第五の仕事という事を知らないのか! エエッ!」
そういう中《うち》にもバタバタと四五人卒倒した。歯の抜けたようになった一列横隊がまたも、アリアリと光弾に照し出された。
ワルデルゼイ軍医大佐は更に強く咳一咳した。声がすこし嗄《しゃが》れたせいか、口調が一層、深刻に冴え返って来た。傍に立っている私までも、気絶することを忘れて傾聴させられた。
「……ええか……よく聞け……軍医の学問の第一として教えられることは自傷《ゼルウー》の鑑別方法《みわけかた》である。戦場から退却《しりぞ》きたさに、自分自身で作る卑怯な傷の診察し方である。吾儕《われわれ》軍医はこれを自傷《ゼルプスト・ウンデー》……略してS・W《ゼルウー》と名付けている。すなわちS・Wの特徴は生命に別条のない手や足に多い事である。そんな処を戦友に射撃してもらったり、自分で射撃したりして作った傷は、距離が近いために貫通創の附近に火傷が出来る。火薬の燃え粕《かす》が黒いポツポツとなって沁み込んでいる事もある。……さもなくとも仏軍の弾丸と吾軍の弾丸は先頭の形が違うために傷口の状況が、一目でわかるほど違っている。口径の違うピストルの傷は尚更《なおさら》、明瞭である。塹壕の外に故意《わざ》と足を投出したり、手を突出したりして受けた負傷と、銃身を構えて前進しながら受けた傷とは三歳児《みつご》でも区別出来ることを汝等は知らんのか。それ位の自傷がわからなくて軍医がつとまると思うのか。そんな卑怯な、横着な傷に吾儕《われわれ》、軍医が欺むかれて、一々鉄十字勲章と、年金を支給されるように吾々が取計らって行ったならば、国家の前途は果してドウなると思っているのか。常識で考えてもわかる事だ……仮病、詐病、佯狂《にせきちがい》、そのほか何でも兵隊が自分自身で作り出した肉体の故障ならば、一目でわかるように看護卒の端々までも仕込まれているのだぞ……俺達は……」
「……………」
「……現在……汝等の父母の国は、汝等の父母が描きあらわした偉大な民族性の発展を恐れ憎んでいる全世界の各国から撃滅されむとしつつ在る。学術に、技芸に、経済政策に、模範的の進取精神を輝かして、世界を掠奪せむとしている吾々独逸民族に対して、卑怯、野蛮な全世界の未開民族どもが、あった限りの非人道的な暴力を加えつつ在る。英、仏、伊、露、米、等々々は皆、吾々の文化を恐れ、吾々の正義を滅ぼそうとしている旧式野蛮国である……わかったか……」
「……………」
「これを憤ったカイゼルは現在、吾々を率いて全世界を相手に戦っている。汝等の父母、同胞、独逸民族の興亡を賭《と》して戦っている。人類文化の開拓のために…よろしいか……」
「……………………」
「その戦いの勝敗の分岐点……全、独逸民の生死のわかれ目の運命は、今、汝等の真正面に吠え、唸り、燃え、渦巻いているヴェルダンの要塞戦にかかっているのだ。その危機一髪の戦いに肉弾となって砕けた勇敢なる死骸は……見ろ……汝等の背後にあの通り山積しているのだ。……その死骸を見て汝等は恥しいとは思わないのか」
「……………」
「汝等はそれでも人間か。光栄ある独逸民族か。世界を敵として正義のために戦うべく、父母兄弟に送られて来た勇士と思っているのか」
「……………」
「……下等動物の蟻《あり》や蜂を見よ。あんな下等な生物でも汝等のような卑怯な本能は持っていないぞ。汝等は実に虫ケラ以下の存在だ。神……人……共に憎む破廉恥漢《はれんちかん》とは汝等の事だ。……汝等は売国奴だ。非国民だ。生かしておけば独逸軍の士気に関する害虫だ。ボルセビイキ以上の裏切者だ……」
「……………」
「汝等は戦死者の列に入る事は出来ない。無論……故郷の両親や妻子にも扶助料は渡らない覚悟をしろ。ただ汝等の卑怯な行為が、汝等の父母、兄弟、朋友たちに絶対に洩らされない……軍法会議にも渡されない……今日只今限りの秘密の中《うち》に葬むられる事を、無上の名誉とし、光栄として余の処分を受けよ」
私はモウ立っている事が出来ない位ふるえ出していた。眼の前の負傷兵の一列が、どうして身動き一つせずにチャント立っているのだろうと不思議に思った位であった。
ワルデルゼイ軍医大佐は、演説を終ると同時に右手を唇に当てて、呼子の笛を高らかに吹き鳴らした。その寒い、鋭い音響が私の骨の髄まで沁み徹《とお》って、又も気が遠くなりかけたところへ、私の背後の月の下からオドロオドロしい靴の音が湧起って来たので、私は又ハッと気を取直した。ポケット
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