うした方法で出征兵士の生血《いきち》を啜《すす》っている稀代の大悪魔なのではあるまいか。大佐は出征兵士の故郷の人々から金を貰って色々な不正な事を頼まれているのではあるまいか。
……戦争がその背後に在る国民の心を如何に虚無的にし、無道徳にし、且《か》つ邪悪にするかという事実は、吾が独逸の国民史を繙《ひもど》いてみても直ぐにわかる事である。しかも近代的な唯物観から来た虚無思想と、法律至上主義によってゲルマン民族の伝統的な誇りとなっていた吾が独逸国内の家庭道徳が、片端から破壊されつつ在る今日に於て勃発した戦争である以上、こうした崩壊の道程に在る家庭内の不倫、不道徳が、独逸軍の裡面に反映しない筈はないのである。
……出征兵士の中には、あの美少年候補生が話したような家庭の事情のために、是非とも殺されなければ都合の悪い運命を背負っている若い連中が何人、混交《まじ》っているかわからないであろう。その気の毒な犠牲候補たちが、万一にも負傷して後送される事のないように……又はソンナ連中が、故郷の事を気にかける余りに、自傷手段で戦線から逃出して来るような事がないように、大佐は平生から沢山の賄賂を貰って、シッカリと頼まれているのではあるまいか。
……だから、あんなに熱心に患者を診察して廻わったのではあるまいか。そうして、そんな連中を何でもない普通の自傷兵とゴッチャにして、あんな風に脅迫して、無理矢理に戦線へ送り返しているのではないか。……だから、私を利用して、その計略の裏を掻いた候補生が、あんなにニコニコと微笑しているのではなかろうか……。
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……といったような途方もない、在り得べからざる邪悪な疑いが、腸《はらわた》の底から湧き出す胴震いと一所に高まって来た。そうしてソンナような馬鹿馬鹿しい、苦痛にみちみちた悪夢からヤッと醒めかけたような……ホッとしたような気持になると同時に私は又、急に胸がムカムカして嘔きそうな気持になって来た。何とも感じなくなっていた屍臭と石油臭が、俄《にわか》に新しく、強く鼻腔を刺戟し初めた……が……そのまま無理に平気を装って、軍医大佐の背後に突立っていた。
そうした私の疑惑を打消すかのように、向い合っていた二条の一列横隊は、私たちの眼前で同時に、反対の方向を先頭にした一列縦隊に変化した。そうして一方は元気よく、勝誇ったように……一方
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