最前から窓かけの蔭に隠れて聞いていたのは、この禿紳士の娘と男の子でした。二人はお父さんが出て行くと直《すぐ》に駈け出して、お医者の袖に縋《すが》って、この乞食を助けてくれと頼みました。そして娘はお母様から頂いた金剛石《ダイヤモンド》入りの指環を出して、これをお父様に上げて下さいと申しました。お医者は涙を流して感心しました。そしていろいろ乞食を介抱しますと、上手なお医者ですから、間もなく生き返らしてしまいました。その時にお父様の禿紳士は器械を片手に持ちながら、息を切らして帰って来ましたが、この体《てい》を見ると大層|憤《おこ》って、二人はどこから這入って来たかと叱りました。
 その時お医者は一足進み出て、指環を紳士に見せながら申しました。
「お児《こ》様方は前からこの室にお出《い》でになっておったのです。私はこの乞食を生かしました。そして飲み込んでいた指環を吐き出させました。ですから何卒《どうぞ》乞食の生命《いのち》だけはお助け下されますように。この指環はあなたに差し上げます」
 禿紳士がその指環を一眼見ると、誰の指環かという事が直《すぐ》にわかりました。そしてそれと一所に自分の子供の美しい心がわかりまして、今までの自分の悪い行いを後悔しました。禿紳士はお医者に沢山のお礼を遣り、若い乞食を初め大勢の乞食を集めて、いろいろのものを遣って御馳走をしました。二人の子供にも御褒美《ごほうび》をやった事は申すまでもありませぬ。その時に禿紳士は若い乞食に向って申しました。
「拾ったものは返さなくてはいけない。指環はどこに隠してあるのか」
 若い乞食は頭をかきかき答えました。
「あれは本当の事では御座いませぬ。夢の話をしていたのに此奴《こやつ》が私の頭をなぐったのです」
 と横に居る跛を指しました。跛も顔を真赤にして頭を掻きながら、
「私も夢で指環を落したのですが、此奴が夢の中で同じ所で拾ったのならば、屹度《きっと》私のに違いないと思うと、急に腹が立ちましたから擲《なぐ》り付けたのです」
 と申しましたから、皆腹を抱えて笑いました。
 けれども禿紳士は笑わないで申しました。
「お前達の夢は正夢であった。御蔭で俺は善人になる事が出来た」
「じゃ、あの神様は本当の神様だったかしら」
 と若い乞食が申しました。
「否《いや》、神様はここに居る。この二人の子供が俺の心を直した本当の神様だ」
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