に襲いかかるようになったのは、それから間もなくの事であった。……二人の秘密生活がはじまってから一週間も経たないうちに、彼女の性格の想像も及ばぬ異常さが、マザマザと私の眼の前に露出しはじめてからの事であった。
 彼女は何の飾りも無い、殺風景なアバラ家の中でホット・イスキーを作るべく湯をわかして私を待っている間に、色々なイタズラをして遊んでいるらしかった。……むろん私は彼女が、何かしら特別な趣味を持っているらしい事を、初対面から察しているにはいたが、しかし、それが始めて私の眼に触れるまでは、まさかにコンナ非道《ひど》い趣味であろうとは、夢にも想像していなかった。それは商売の警察廻りで、アラユル残忍な事件に神経を鍛えあげられて来た私でさえも、正視しかねた程の残酷な遊戯であった。
 彼女は、どこからか迷い込んで来たポインター雑種の赤犬を一匹、台所のタタキの上に繋《つな》いで、バタを塗ったジレットの古刃《ふるは》を三枚ほど喰わせて、悶死《もんし》させているのであった。もっとも私が彼女の門口《かどぐち》を推した時には、最早《もう》、犬は血の泡の中に頭を投げ出して、眼をウッスリと見開いているだけであったが、それでもタタキの上に一面に残っている血みどろの苦悶の痕跡《あと》を一眼見ただけで、ゾッとさせられたのであった。
「……ホホホホホ……何故モット早く来なかったの。アンタに見せようと思って繋いどいたのに……。あのね……ジレットを食べさせるとね。噛もうとする拍子に、奥歯の外側に引っかかってナカナカ取れないのよ。だから苦しがって、シャックリみたいな呼吸《いき》をしいしい狂いまわるの……。それをこの犬ったらイヤシンボでね。三枚も一緒にペロペロと喰べたもんだからトウトウ一枚、嚥《の》み込んじゃったらしいの。それで死んだに違い無いのよ。ちょうど四十五分かかってよ、死ぬまでに……それあ面白かってよ。息も吐《つ》けないくらい……犬なんて馬鹿ね。ホントに……」
「…………」
「……アンタ済まないけどこの犬に石を結《ゆわ》い付けて、裏の古井戸に放り込んでくれない。前のテニスコートの垣根の下に、石ころだの針金だのがいくらでも転がっているから……タタキの血は妾《わたし》がホースで洗っとくから……ね……ね……」
 そういううちに彼女は突然にキラキラと眼を輝かした。……と思う間もなく、バタと犬の臭気《しゅうき》にしみた両手をさし伸ばして、イキナリ私の首にカジリつくと、ガソリン臭《くさ》いキスを幾度となく私の頬に押しつけるのであった。
 しかし私は最前から吐きそうな気持ちになっていた。そうした色々な臭気の中で、底の知れないほど残忍な彼女の性格を考えさせられたので……それが彼女の接吻《せっぷん》を受けているうちにイヨイヨたまらなくなったので……私はシッカリと眼をつむって、思い切り力強く彼女を押し除《の》けると、その拍子に彼女はドタンと畳の上に尻もちを突いた。そうしてそのままテレ隠しらしく靴下を脱ぎながら、高らかに笑いだした。
「オホホホホ。駄目ねアンタは……。わたしの気持ちがわからないのね。……でも今にキットわかるわよ。アンタならキット……オホホホホ……」
 私はやはり眼を閉じたまま、頭を強く左右に振った。そういう彼女の心持が、わかり過ぎる位わかったので……彼女が、こうした遊戯の刺激でもって、その性的スパスムを特異の状態にまで高潮させる習慣を持った、一種特別の女であることが、この時にやっと分ったので……そうして同時に彼女はこの私を、彼女のこうした趣味の唯一の共鳴者として、初対面からメモリをつけていたに違い無い……その気持までもがアリアリとうなずかれたので……。
 それは彼女自身にも気づいていない、彼女の本能的な盲情《もうじょう》であったろうと考えられる。……その盲情が、ズット前の猟奇座談で、私がこころみた漫談に刺激されて眼ざめた結果、こんな趣味に囚《とら》われるようになった。そうしてその結果、彼女はこうして一切を棄てて、本能的に私と結びついてくるようになったのではないか……それを彼女は私に恋しているかのように錯覚しているのではないか……。
 ……と……ここまで考えてくると、私は思わず又一つ、頭を強く左右に振った。髪毛《かみのけ》がザワザワして、背中がゾクゾクし始めたので……。
 しかも彼女のこうした心理は、それから又二三日目に、彼女が肉片を引っかけた釣針で、近所のドラ猫を釣って、手繰《たぐ》ったり、ゆるめたりして遊んでいるのを発見した時に、イヨイヨドン底まで印象づけられたのであった。同時に彼女が、こうした趣味の道伴《みちづ》れとして私を選んだのが、飛んでもない間違いであった……私の中には彼女の想像した以上の恐ろしいものが潜んでいた……という事実までも、私自身にハッキリと首
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