かかる、最後の手段を執《と》らなければならない事が予想されたので……。
 ……彼奴等《きゃつら》はいつもコンナ当てズッポー式の見込捜索をやるから困る。当り前に動かぬ証拠を押えて来るとなれば、百年かかってもここへ遣《や》って来る筈は無いのに……チエッ……。おまけに今、俺を引っかけようとしているトリックの浅薄《あさはか》さ加減はドウダ……そんな古手に引っかかる俺と思うか……と云いたいが今度だけは特別をもって引っかかってやる……その古手を利用してやる。その代り一分一厘間違い無しに証拠不充分になって見せるから、その時に吠面《ほえづら》かくな……。
 そんな事を思い思い運動服の上から、スエーターをぬくぬくと着込んで、ガマ口を尻のポケットへ押し込んで、鳥打帽子と西洋手拭と、ラケットと運動靴を抱えると、石鹸《せっけん》を塗って辷《すべ》りをよくしておいた障子をソーッとあけて、裏町の屋根を見晴らした二階の廊下に出た。そこで念のために前後を見まわしたが誰も居ない。
 ……シメタナ。事によったら今の芝居は、芝居じゃなかったかも知れないぞ。逃げる余裕が充分に在るのかも知れないぞ……しかしまだ往来まで出てみないとわからない……。
 と考えながら裏口の階段に続く廊下を、もしやと疑いながら曲り込むと、果してそこに立っていた……張り込んでいたに違い無いAという、やはり警視庁の老刑事にバッタリと行き合ってしまった。
 私はその時にハッと眼を丸くして立ち竦《すく》んだ……ように思う。何故《なぜ》かというとこのAという老刑事が出て来る事は、殆《ほと》んど十中八九まで確定した犯人を逮捕する時にきまっていたのだから……そうしてあの晩見た、鏡の中の自分の姿を、その瞬間にチラリと思い浮かべたように思ったから……。
 A刑事はゴマ塩の無性髭《ぶしょうひげ》を撫でながらニッコリと笑った。
「……ヤア……早くから……どこへ行くかね……」
 私は二三度眼をパチパチさせた。すぐに笑い出しながら、何か巧《うま》い弁解をしようと思ったが、その一刹那に又も、鏡の中の自分の姿が、眼の前に立ち塞《ふさ》がったような気がしたので、思わずラケットを持った手で両方の眼をこすってしまった。
「……エ……エ……そのチョット……」
 私は吾《わ》れながら芝居の拙《まず》いのに気が付いた。腋の下から冷汗がポタポタと滴《したた》り落ちるのがわか
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