」である事を自白し続ける事になるのだぞ。
……しかし、そんなに神経を動揺さしたまま俺の前を立ち去るのは尚更《なおさら》ケンノンだ。お前は今すぐに、そのお前の全神経を、いつもの通りの冷静さに立ち帰らせなければならぬ。そうして平生《いつも》の通りの平気な足取りで、お前の右手の階段を昇って、自分の室《へや》に帰らなければならぬ。……いいか……まだ動いてはいけないぞ……お前の神経がまだ震えている……まだまだ……まだまだ……」
こんな風に隙間もなく、次から次に命令する相手の鋭い眼付きを、一生懸命に正視しているうちに私は、私の神経がスーッと消え失せて行くように感じた。それにつれて私の全身が石像のように硬直したまま、左の方へグラグラと傾き倒れて行くのを見た……ように思いながら慌てて両脚を踏み締めて、唇を血の出るほど噛み締めながら、鏡の中の自分の顔を、なおも一心に睨み付けていると、そのうちにいつの間にか又スーッと吾に返る事が出来た。やっと右手を動かして、ポケットからハンカチを取り出して、顔一面に流るる生汗《なまあせ》を拭うことが出来た。そうすると又、それにつれて私の神経がグングンと弛《ゆる》んで来て、今度は平生よりもズット平気な……寧《むし》ろガッカリしてしまって胸が悪くなるような、ダレ切った気持になって来た。
私は変に可笑《おか》しくなって来た。タッタ今まで妙に狼狽《ろうばい》していた自分の姿が、この上もなく滑稽《こっけい》なものに思えて来た。そうして「アハアハアハ」と大声で笑い出してみたいような……「笑ったっていいじゃないか」と怒鳴ってみたいようなフザケた気持になった。
私は鏡の中の自分を軽蔑してやりたくなった……「何だ貴様は」とツバを吐きかけてやりたい衝動で一パイになって来た。そこでモウ一度ポケットからハンカチを出して顔を拭い拭い、そこいらをソット見まわしてから、鏡の中を振り返ると、鏡の中の私も亦《また》、瀬戸物のように、血の気《け》の無い顔をして、私の方をオズオズと見返した……が……やがて突然に、思い出したように、白い歯を露《あら》わして、ひややかにアザミ笑った。
私は思わず眼を伏せた。……ゴックリと唾液《つば》を呑んだ。
それから一週間ばかり後《のち》の或る朝であった。私はいつもの通り朝寝をして、モウ起きようか……どうしようかと思い思い、昨夜《ゆうべ》新聞社
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