無い……という事実が、何よりも雄弁に証拠立てている。
 しかし考えてみるとこれは無理もない話である。彼等は私の自白にスッカリ満足してしまって、ソレ以上の事に気が付かないでいるのだから……。彼等は要するに犯人を捕える無智な器械に過ぎないのだから……そうしてそんな器械となって月給を取るべく彼等は余りに忙し過ぎるのだから……。
 だから私はこの一文を彼等の参考に供しようなぞ思って書くのではない。あの記事を精読してくれて、私の自白心理に就いて疑問を起してくれた少数の頭のいい読者と、わざわざ私のために係官の許可を得て、この紙と鉛筆とを差し入れてくれた官選の弁護士君へ、ホンの置土産《おきみやげ》のつもりで書いているのだ。
 そうして私の「完全な犯罪」を清算してしまいたい意味で……。

 私は「彼女の死」以外に、何等の犯跡を残していない空屋を出ると、零度以下に冷え切った深夜のコンクリートの上を、悠々《ゆうゆう》と下宿の方へ歩いて帰った。それは、いつも新聞社からの帰りがけに、散歩をしている通りの足取であったが、あんまり寒いせいか、途中には犬コロ一匹居なかった。ただ街路樹の処々《しょしょ》に残った枯葉が、クローム色の星空の下で、あるか無いかの風にヒラリヒラリと動いているばかりであった。
 すべてが私の予想通りに完全無欠で、且《か》つ理想的であった。「完全なる犯罪」を実行し得る無上の一|刹那《せつな》を、私のために作り出してくれた天地万象が、どこまでも私のアタマのヨサを保証すべく、私の註文通りに動いているかのようであった。こころみに下宿の門口《かどぐち》に立ち止まって、軒燈《けんとう》の光りで腕時計を照してみると、いつも帰って来る時間と一分も違っていなかった。
 ……彼女はモウ、これで完全に過去の存在として私の記憶の世界から流れ去ってしまったのだ。そうして私はこれから後《のち》、当分の間、毎晩その通りの散歩を繰返せばいいのだ。あの空家で彼女と媾曳《あいびき》することだけを抜きにして……。
 そう思い思い私は下宿の表口の呼鈴《よびりん》を押して、閂《かんぬき》を外《はず》してくれた寝ぼけ顔の女中に挨拶をした。いつもの通りに「ありがとう……お休み」……と……。その時に、帳場の上にかかった柱時計が、カッタルそうに二時を打った。
 その時計の音を耳にしながら私は、神経の端の端までも整然として靴
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