要りません。問題は大連《たいれん》に着いてからです。大連から清津《せいしん》へ抜けて、あすこから浦塩《うらじお》へ抜ける途《みち》がありますから……露西亜《ロシア》語ならお手のものでしょう……ハラショ……済みませんがそのベルをモウ一度押して下さい。いくつでもよろしい。デッキの部屋へ二人分の寝床を支度させましょう。ヘヘヘ……オイ。ボン州、銀州、エテ公。チョット来い。用がある……ウン。扉《ドア》を閉めてこっちへ這入れ……。こいつを押さえろッ……その万年筆を取上げろッ……毒|瓦斯《ガス》らしいから……。
アハハ。どうです。身動きが出来ないでしょう。僕の部下は素早いでしょう。ハハハ。お断りしておきますが、今まで云った事はみんな嘘です。この船は国際的ルンペン船でもなけあ、日本の諜報《スパイ》船でも何でもない。貴女はまだ御存じないでしょうが、日本と支那の間を、荷物船《カーゴボート》に化《ばけ》て往復しているG《ゲー》・P《ペー》・U《ウー》の海上本部K・G・M号です。そうして僕はこの船の船長ですよ。わかりましたか。ハハハ。……貴女がG・P・Uを裏切って、日本に隠れようとしていることを看破した王君が、取りあえず僕に引渡したんですが、お気の毒ながら……ナニ……僕の国籍? 名前……ヘヘヘ。今は日本語を使っているから日本人ですが、浦塩へ這入れば露西亜《ロシア》人で通りましょう。こいつ等は皆日本語のわかる朝鮮人ですが、国籍を持っている奴なんか一匹もこの船に居ないんですよ。……まあ……そんな事はどうでもよろしい。……ナニ……僕の日本語が巧妙《うま》過ぎる?……大きなお世話だ。お前さんの露西亜語ぐらいのもんさ。東京の寄席には漫談をやっている露西亜人が居るんだぜ。……ニチエウオ……オットその万年筆はソーッとその棚の上に置いとけ。落ちたら大変だぞ……そいつが恐ろしかったから呼んだんだ。序《ついで》に着物を引っ剥《ぱ》いでくれい。ナイフで切り裂いても構わない。そうだそうだ……。
ハハハ……どうだ、驚いたか。女だろう。いい肉付きだ。
ナアニ……可哀相も糞もあるもんか。スッカリ引っ剥《ぺ》がしてしまえ。着物はこの寝台の上に並べろ。靴も……ズロースも……俺が後で検査してやるから。まだ別に日本内地のG・P・Uの名簿と暗号の鍵を隠して在る筈だからな。コイツ奴《め》、日本の参謀本部に売り付ける了簡《りょうけん》で持って来やがったんだ。危ねえの何のって……。
オット。痛い目を見せなくともいいんだ。女スパイには経験《おぼえ》があるんだ。これ位の女になるとモウこの上に泥を吐く気づかいはないんだ。それよりも身体《からだ》中をスッカリ調べろ。喰い付かれるなよ。誰か片手で頭の毛を掴んでろ。それからスパナか何か持って来て口をコジ開けるんだ。開けなけあそのナイフを噛ませて見ろ。強情な女《あま》だな……そうそう。金歯かアマルガムがあったらペンチで引っこ抜くんだ……血だらけで見えないか。懐中電燈を出せ。俺が見てやる……ウム。みんな綺麗な歯だ……よしよし……今度は鼻の穴だ……イイカ。唇をシッカリ抓《つま》んでろ。唾液《つば》でも吐きやがると穢《きたな》いからな……ちょっとこの電燈を持っててくれ。動かすんじゃねえぞ。反射鏡を使うんだから……ウム。何も無いと……耳の穴はドウダ。ウム。よしよし。チャント掃除してやがる。学生らしくもなかったな。ハッハッ。髪の毛の中はドウダ。何も無いか。よしよし。それでよしと……。
そんならモウこの剥身《むきみ》に用は無いな。ハラショ。貴様達に呉れてやるから、そっちへ持って行って片付けろ……ナニ……。
何だ何だ……モウ一つ云う事がある。云ってみろ。ハハア……貴方がたを疑って済まなかった。G・P・Uを裏切ったのじゃない。裏切った形にして東京の×××大使館へ重大な密書を運ぶんだ……成る程……密書の内容は?……ウム。上海《シャンハイ》の排日で……上海の排日で……それがどうした……オイ……シッカリしろ……サ……ブランデーを飲ましてやる……シッカリしろ。上海の排日がどうした……ウム。上海の排日で、世界大戦の導火線を作る見込みが充分に付いた……×××は他の国と同盟せずにキャスチングボートを握ってくれ。……御要求の利権を承認する旨、本国へ取次いでくれ……何だ。それあ南京政府の密書か……そうじゃない。蒋介石《しょうかいせき》の仕事か、フフウ、そいつあ問題が大きいぞ。……本文は万年筆の鞘《さや》に塗り込んである。これか……ナアル程。エボナイトじゃないわい。パラフィン塗りの紙細工か。ウマク細工したもんだ。……ウン。これが密書か。有難い有難い。コイツはドエライ金になるぞ。尤も若槻内閣へ売っちゃドッチミチ損だが……。ウム。ヤット本音を吐きやがった。……オイ姐《ねえ》さん。この船を密輸入目当ての海賊船たあ思わなかったかい。それよりもこの王さんの顔をモウ見忘れたのかい。チットばかり細工はしているが、あんまり見識《みし》り甲斐《がい》がなさ過ぎるじゃないか。眼付きを見ただけでも日本人とわかりそうなもんだが……アハハハ。姐《ねえ》さんにも似合わない。K・G・Mが海牛丸の洒落《しゃれ》と気付かなかったばっかりにスッカリ底をハタイちゃったね。フフフ……。
ああくたぶれた。焦点《フオカス》が合わないので恐ろしく手間を喰わせやがった。女はドウモ苦手だ……ハハン……。モウいいから片付けちまえ。ホラッ……喰い付かれるなとタッタ今云ったじゃないか。見ろ……。
……オイオイ。扉《ドア》を開け放して行く奴があるか。馬鹿野郎。ハッハッ。アトは汽鑵《かま》へブチ込むんだぞ……ハッハッハッハッハッハッ……。
底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年3月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂
1933(昭和8)年5月15日発行
※底本の「上海《シャンハイ》をを」「上海《シャンハイ》にに」をそれぞれ、「上海《シャンハイ》を」「上海《シャンハイ》に」に改めました。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2004年1月5日作成
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