れい》サッパリと白状しちまうんだ。だから僕の事を閻魔《えんま》様と云うんだ。がそんな奴でないと、イザとなった時にタタキまわしが利かないから妙だよ。……見たまえ。あれが最旧式の宮原式ボイラーなんだ。二三十年前に出来た骨董品だが、博物館あたりへ寄附しても相当喜ぶシロモノだよ。ハッハッ。ナアニ大丈夫だよ。爆発なんかしないよ。出来は古いがガッチリしているからね。安全弁があんなに白いスチームを吐いているだろう……ブーブーいってるのが聞えるかい。ウン……見えるけど聞えない……慣れないからだよ。
 アッ……蓋《ふた》を明《あ》けた。眩《まぶ》しいだろう。
 汽鑵《ボイラー》の蓋を明けたんだよ。まるで太陽だろう。アハハ。もうあんなに白熱しているんだからね。あれで千二三百度ぐらいのもんだろうよ。それでもあの中へ人間一人ブチ込んだら、五分間で灰も残らないよ。美味《おいし》そうな臭いだけは残るがねハッハッハッ。
 人間をブチ込んだ事があるかって……あるともさ。人間ばかりじゃない。品物だって何だって面倒臭いものはミンナ打《ぶ》ち込むんだ。この間なんぞは鉄砲を積んで呉淞《ウースン》に這入りかけたら、その間際で船員の中《うち》に、スパイが二人|混《まじ》っている事を発見したから、文句なしにブチ込んでくれたよ。ナアニ途中で波に渫《さら》われたと云いやあソレッキリだからね。
 ……ヤ……ちょうど茶が来た。一杯飲んで行き給え。序《ついで》にモウすこしすると面白い事が初まるから見て行き給え、今にわかるよ。トテモ面白い。簡単なバクチなんだ。見れば解るよ。
 ハハハ……心配しなくともいい。地獄の珈琲だって麻酔薬《まやく》も何も入ってやしないよ。君を眠らして、麻雀の十箱やそこら頂戴したって仕様がなかろう。第一君を殺《や》るつもりならワザワザこんな処まで引張り込みやしないよ。学生の癖に意気地《いくじ》が無いんだなあ君ゃ。ハハハハハ。まあ珈琲を一杯飲み給え。スマタラ製だが非常に芳香《かおり》が高いんだ。度胸が据って僕の話が面白くなるだろう。コンナ世界も在るって事が解れば、将来キット参考になるよ。トニカク徹底しているんだからねえ機関室の地獄生活は……。
 成る程なあ。君等にとっちゃ学校を卒業するのが目下の急務だろうよ。最早《もはや》ジキ試験が始まる……故郷にはお母さんが待っているか。フウン。そうかそうか。まあシッカリ遣り給え。しかし試験の候《そうろう》のっていうけど、今の学校の試験なんか甘いもんだよ。僕が機関長になった時の体験を話したら身の毛が竦《よだ》つだろうよ君等は……まあ聞き給え……モウ船室《ケビン》には用は無いだろう。ナニ、書物を読みたい。書物なんかは大概にしとくがいいね。学校で習った事なんか実際の役に立ちやしないよ。理窟通りに機械が動くもんなら機関長は要らない。学者の思う通りに世の中がなるものなら、ボルセビキの理論は一と通りで済むんだ。ナカナカ学者だろう。ハッハッ。
 オイ。ボン州。チョット来い。モウ一パイ茶を入れて来い。今度は紅茶だ。俺のはウイスキーを割って来るんだぞ。それからその扉《ドア》を閉めておけ。八釜《やかま》しいから……。
 どうだい。こうして扉《ドア》を閉めとくと機械の音がウッスリしか聞えないだろう。扉《ドア》が厚いからね。しかしコンナに軽い騒音でも、機械のどこかに故障があると、直ぐにこっちの頭にピインと来るんだよ。故障の個所までチャント解るから不思議だろう。ナアニ。永年の経験さ。この部屋で寝ていると夜中に何か知らんハッとして眼を醒ます。ハテ。何で眼を醒ましたのかと思って、ボンヤリしていると果せる哉《かな》だ。コンナ風に雑然《ごちゃごちゃ》聞えて来る騒音の中のドレか一つが起している。ズット奥の小さなピストンのバルブがおかしいな……とか何とか直ぐに気が付く。そんな小さな音に眼を醒ます筈はないと思うかも知れないが、不思議なもので、機械のジャズが順調に行っているうちはグッスリ眠っているが、すこし調子が変るとフッと眼が醒める。同じ船に長く乗っていると船の機械全体が、自分の神経みたいになってしまうんだね。船が黒潮に乗ると同時に、運転手がポッカリと眼を醒ますようなもんだ。
 まだ驚く話があるんだ。
 今君が見たあの大きな汽鑵《ボイラー》ね。あの正面の電球の下に時計みたいなものが在って、指針《はり》が一本ブルブル震えていたろう。あれが汽鑵《ボイラー》の圧力計《プレシュアゲージ》なんだが、あの圧力計《ゲージ》の前に立って、あの指針《はり》が、二百|封度《ポンド》なら二百|封度《ポンド》の目盛りの上に、ピッタリと静止しているのを見た一瞬間に、この指針《はり》はこれから上るか……下るかっていうことがピンと頭に来るんだ。静止している指針《はり》がだよ。そいつがピンと来る位の頭にならなくちゃ、一人前の機関長たあ云えないんだ。同時に圧力がコレ位しか上らないところを見ると石炭が悪いんだな……とか……どこかに故障があるんだなとかいう直覚が来る。向うの港に着くまでに石炭が足りるか足りないかといったような問題まで、同時にピーンと来るんだから、あの指針《はり》一本がナカナカ馬鹿に出来ないんだ。ソウ……第六感とでもいうかね。
 無論そこまで来るには僕も苦労したもんだよ。まあ聞き給え……。
 ……オーイ……這入れえ……。
 ……ヤッ来た来た。魔法瓶《テルモス》に入れて来たな。ボン州の癖に気が利いているじゃねえか。このウイスキーは誰のだ。何だ船長のか。イヨイヨ気が利いているぞ貴様は……勿体《もったい》なくもK、O、K、じゃねえか。ステキステキ。どうだいチョッピリ、ウイスキーを入れようか。ナニ。奈良漬に酔う? ナカナカ日本通だね君ゃ。それじゃカステラを遣り給え。上海から逆輸入の長崎名物だ。吾輩の話の聞き賃だ。ハハハハ……オイオイ……野郎。あとを閉めねえか。馬鹿野郎……。
 イヤ。全く久し振りにコンナ話をするがね。吾輩が機関長の試験を受けたのが二十一の年だった。イヤア君も二十一かい。そいつあ奇遇だね。ハハハハ。ところでソイツが満点試験と来ているから凄いだろう。ドレ位凄いか話してみなくちゃ解るまいがね。
 何しろこっちは、無けなしの貯金に借金の上塗《うわぬ》りした何十円也を試験料としてブチ込んでいる一方に、船乗片手間の独学と来ているんだから絶体絶命だ。高等数学の本なんかテンデわからない奴を、片《かた》ッ端《ぱし》から一冊分丸諳記さ。そんな無茶をやった事があるかい。無いだろう。トテモお話にならないんだ。兵庫の下宿の天井から、壁から、襖《ふすま》から、障子《しょうじ》から、電燈の笠まで、公式を書いた紙をベタベタ貼り散らして寝床の中から眼を開ければ、直ぐに眼に付くようにしている。諳記した奴は引っペガして、新しいのを貼るという寸法だ。下宿の婆さんが驚いて、コンナに沢山にまあ。これは及第のおまじない[#「おまじない」に傍点]ですかって聞くんだ。成る程おまじない[#「おまじない」に傍点]に違いないね。丸めて嚥《の》んでしまいたいくらい大切なおまじない[#「おまじない」に傍点]だからね。ハハハ。
 それから当日試験場へ行くと、初日は筆記試験ばかりだったが、コイツは兎《と》も角《かく》も満点を取って帰ったと見えて、明日《あす》の試験に出ろという通知が夕方下宿に届いた。
 ところで翌《あく》る朝、勢い込んで試験場に来てみると驚いたね。七十何人居た受験者が、タッタ二人しきゃ居ないんだ。何かの間違いじゃないか知らんと思って一寸《ちょっと》キョロキョロしたもんだよ。ナアニ。みんな振り落されたのさ。ホントウの満点試験だからね。綴字《スペル》が一字違っていてもペケなんだから凄いよ。七十何人、試験料丸取られさ。これがお上《かみ》の仕事でなけあ、金箔付きのパクリだろう。
 僕と一緒に居残った奴は、島根県の何とかいう三十ばかりの鬚男《ひげおとこ》だったが、広い教室のズット向うとこっちに離れて製図を遣るんだ。……お互に顔を見交《みかわ》して泣き笑いみたいな顔をし合ったっけ。…ところが翌る日行ってみると、今度はそいつがノックアウトされている。つまり一番年の若い僕だけがタッタ一人残った訳だが、心細いの何のってお話にならない。冥途《あのよ》の入口に一人ポッチで来たような気もちだ。しかし試験官は、それでも遠慮なんかミジンもしない。一匹もパスさせなくたって構わないんだから平気なもんさ。口頭試験で百三十ばかりの問題を立て続けにオッ冠せて来る。むろん片ッ端から即答さ。時計を睨みながら二三十秒ぐらい待ってくれるだけで、一分と過ぎたらその場で落第の宣告だ。恐らく僕の顔には血の気《け》が無かったろうと思う。それでもヤットの思いで汗を拭き拭き受け流して行くうちに試験官がパッタリと帳面を閉じたから、落第じゃないかと思ってハッとしていると、その顔を見ながら試験官の奴ニッコリしやがってね。イヤ、御苦労でした。成績は満点です。あちらの室《へや》で茶を飲みましょう。……と早口で云った時には、思わずポオーッと気が遠くなったね。しかし、それでも嬉しかったから尻尾《しっぽ》を振り振り、浮き足でクッ付いて行くと、廊下を一曲りした処の空《あき》部屋に僕を連れ込んで、熱い渋茶を一パイ御馳走した。その序《ついで》に室《へや》の中をグルリと見まわすと、試験官の奴モウ一度ニヤリと笑ったもんだ。
「この室《へや》に石炭が何|噸《トン》、詰まるでしょうかね」
 と冗談みたいに吐《ぬ》かしおってね……しかも、その顔付きたるや、断じて冗談じゃないんだ。たしかにまだ試験の中《うち》らしい面構《つらがま》えをしてケツカルんだ。考えてみるとサッキ満点を宣告した時には、ただ御苦労と云っただけで、お芽出度《めでと》うとは吐《ぬ》かさなかった。チョックラ油断させておいて、不意打ちにタタキ落そうという寸法なんだ。こんなタチの悪い試験に引っかかった事があるかね……恐らく無いだろう。
 そう気が付いた刹那《せつな》に僕はモウ一度気が遠くなりかけたね。そいつを我慢すべく熱い茶を一杯グッと嚥《の》み込むと、破れカブレの糞度胸《くそどきょう》を据えたもんだ。
「そうですねえ。六十|噸《トン》も這入りますかね」
 と冗談みたいに返事してやったら、試験官|奴《め》、眼を丸くしやがって、
「ヘエ。そんなに這入りますかね」
 と吐《ぬ》かしやがった。おまけに附け加えて、
「室《へや》の容積というものは見損ない易いものでね。誰でも初めて船に乗って、石炭を積むとなると、この見込みが巧く行かないので、下級船員から馬鹿にされる事になるのですが……ハハン……」
 と腮《あご》を撫でおった。……ナアニ。親切でソンナ事を云うもんか。ドギマギさせようという策略に違いないんだ。……ヘエ。それじゃ五十|噸《トン》ぐらいですか……とか何とか、お付き合いにでも云おうもんなら……ハイ。待ってました。九十九点九分九厘で落第……と来るんだろう。土に噛《か》じり付いても試験料をパクリ上げようという腹なんだからヒドイよ。そん時には流石《さすが》の僕も、思わずグッと来てしまったね。何しろ若かったもんだから……篦棒《べらぼう》めえ。どうでもなれという気になったもんだ。
「……ええ……しかし六十噸というのは試験の解答ですよ。天井までギッチリの勘定ですが、しかし実際をいうと、この問題は非常識ですね。本当にこの部屋に、それだけの石炭を詰め込んだら、壁と床が持たないでしょう。エヘヘヘヘヘ……」
 と冷やかし笑いをして見せたら、試験官の奴、塩《しょ》っぱい面《つら》をして睨み付けたと思うと、プリプリして出て行きおった。そこで僕も土俵際で落第したもんだと諦めて、その晩は久し振りに酒を呷《かぶ》ってグッスリ寝込んでいるうちに、いつの間にか夜が明けたらしい。下宿の婆さんがユスブリ起して「モウ九時だっせ。お手紙が来とりまっせ」と云うんだ。むろん落第の通知だろう。見たってドウなるもんか。勝手にしやがれと思い思い、何だか気になるから開けてみたら、豈計《あにはか》
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