を落ち着けて置かねば、すぐに、この上もなく非常識な、恐ろしい不安がコミ上げて来て、トテも凝然《じっ》として三十分間も電車に乗っておれない気がしたのであった。それでも電車がブンブン揺れながら、暗黒の平地を西へ西へと走るのがたまらなく恐ろしくなって、途中で飛び降りてみたくなったくらい私は、一種探偵小説的に不可解な、不安な昂奮の底流に囚われていたのであった。横浜へ帰ったら、私の家族と私の病院が、姫草ユリ子|諸共《もろとも》に、何処かへ消え失せていはしまいか……と言ったような……。

 桜木町駅に着いたのは何時頃であったろうか。そこから程近い紅葉坂の自宅まで、何かしら胸を騒がせながら、雨上りの道を急いで行くと、突然に背後《うしろ》の橋の袂《たもと》の暗闇から、
「……臼杵センセ……」
 と呼び掛ける悲し気な声が聞こえて来たので、私はちょうど予期していたかのようにギクンとして立ち佇まった。それは疑いもないユリ子の声であった。
 ユリ子は今日の午後、外出した時の通りの姿で、黒い男持の洋傘《こうもり》を持っており、夜目にも白い襟化粧をしていたが、気のせいか瞼の縁が黒くなっていたようであった。
 彼女は、その洋傘を拡げて、人目を忍ぶようにして私に寄り添った。そうして平常《いつも》の快闊さをアトカタもなくした陰気な、しかしハキハキした口調で問いかけた。
「先生。庚戌会へお出でになりまして……?……」
「ウン。行ったよ」
「白鷹先生とお会いになりまして……?……」
「……ウン……会ったよ」
「白鷹先生お喜びになりまして……」
「いいや。とてもブッキラ棒だったよ。変な人だね。あの先生は……」
 私は幾分、皮肉な語気でそう言ったつもりであったが、彼女はもうトックに私のこうした言葉を予期していたかのように、私の顔をチラリと見るなり、淋しそうな微笑を横頬に浮かめて見せながら点頭《うなず》いた。
「ええ。キットそうだろうと思いましたわ。けれども先生……白鷹先生はホントウはアンナ方じゃないのですよ」
「フーン。やっぱり快闊な男なのかい」
「ええ。とっても面白いキサクな方……」
「おかしいね。……じゃ……どうして僕に対してアンナ失敬な態度を執ったんだろう」
「先生……あたしその事に就いて先生とお話したいために、きょう昼間からズットここに立って、先生のお帰りを待っておりましたのですよ。でも……お帰りが
前へ 次へ
全113ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング