は戦場であります。この社会は現在、あらゆる素晴らしい科学文明の力で、かくも美しく飾り立てられているのでありますが、しかしその内実はドンナものかと考えてみますと、ちょうど野生の動植物の世界……ジャングルとか原始林とか、阿弗利加《アフリカ》の暗黒地帯とか言うものの中と同様に、精神的にも物質的にも、お互い同士が『喰うか喰われるか』の恐ろしい生存競争場であります。その止むに止まれぬ生存競争から生み出される、あらゆる不正不義な意味の社会悪が到る処に『喰うか喰われるか』の意味で満ち満ちているのでありますからして、わけても心の優しい、うら若い皆様に取りましては、是非善悪に迷われるような深刻な、危険な、恐ろしい立場が、到る処に待ち受けている事を、今から覚悟していて頂かねばなりません。
 ……度々申しますように、今日までの人類文化の歴史は、男性のための文化の歴史であります。そうしてその男性の歴史というものは個人個人同士の腕力の闘争史から、団体同士の武力の競争時代を経過して参りまして、只今は金銭の闘争時代に入っております。すなわち弓矢鉄砲と名づくる武器が、金銭と名づくる武器に代っただけの時代であります。それでありますからして昔の武力闘争時代に於て、戦争のため、すなわち敵に打ち勝つためには、如何なる奸悪《かんあく》無道な所業といえども、止むを得ない事として許されておりましたのと同様に、現在の社会に於ても、金銭と、これに伴う名誉、地位のためには、法律に触れず、他人に知れない限り、如何なる悪辣《あくらつ》、非人道をも、どしどし行って差支えないと考えられているのであります。もっと極端に申しますと現在の世界は、国際関係に於ても、個人関係に於ても、平気で良心を無視し、人道を蹂躙《じゅうりん》し得るほどの、残忍、冷血な者でなければ、絶対に勝利者となる事の出来ない世の中と申しても大した間違いはないと考えられるのであります。
 ……すなわち現代の男性は、金銭の武器をもって戦うところの、暗黒闘争時代の闘士であります。無良心、無節操なる暴力とか策略とか言うものを平気で、巧みに行ない得る男性が勝者となり、支配者となりまして、そんな事の出来ない善人たちが、劣敗者、弱者となり下って行く証拠が、日常到る処に眼に余るほど満ち満ちているのであります。……ですから世界中が優しい、美しい、平和を愛好する婦人たちの心によって
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