うか。
以下は私の日記の抜書を一つの報告文体に作り上げたものです。ですから中には彼女に関する貴下の御記憶と重複しているところもありましょう。または貴下の御人格を冒涜するような章句もありましょう。なおまた、敬語を抜きにした記録体に致しましたために、無作法に亙《わた》るような個所が出来るかも知れませんが、何卒《なにとぞ》、悪しからず御諒読《ごりょうどく》を願います。何《いず》れもその時の私の心境を率直、如実に告白致したいために、日記の記録する通りに文章を取纏《とりまと》めたものですから……。
姫草ユリ子が私の病院に来たのは昨、昭和八年の五月三十一日……開業の前日の夕方であった。見事な、しかし心持地味なお納戸《なんど》の着物に、派手なコバルト色のパラソル、新しいフェルト草履《ぞうり》、バスケット一|個《つ》という姿の彼女がションボリと玄関に立った。
「コチラ様では、もしや看護婦が御入用ではございませんかしら……」
診察室の装飾に就いて家具屋と凝議《ぎょうぎ》をしていた私の姉と、妻の松子とは、顔を見合わせて彼女の勇敢さに感心したという。ちょうど二人雇っていた看護婦ではすこし手が足りないかも知れない……と話合っていたところだったので、早速、外来患者室に通して、私と三人で面会して一応の質問と観察をこころみた。
「新聞の広告を見て来たのですか」
「いいえ。ちょうど表の開院のお看板が電車の窓から見えましたので降りて参りました」
「ハハア。お国はどちらですか」
「青森県のH市です」
「御両親ともそこにおられるのですか」
「ハイ。H市の旧家でございます」
「御両親の御職業は……」
「造酒屋を致しております」
「ほお。それじゃ失礼ですが、お実家《うち》は御裕福ですね」
「ええ。それ程でもございませんけど……妾が東京に出る事に就きましても、両親や兄が反対したんですけど妾、自分の運命を自分で開いてみたかったんですし、それに看護婦の仕事がしてみたくてたまらなかったもんですから……」
「それじゃ今では御両親と音信を絶っておられるんですか」
「いいえ。いつも手紙を往復しておりますの。それからタッタ一人の兄も東京で一旗上げると言って今、丸ビルの中の罐詰《かんづめ》会社に奉公しております」
「学校は何処をお出になったの」
「青森の県立女学校を出ておりますの」
「看護婦の仕事に御経験がありますか
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