ちと、平和な村政で固まっている村々には、二三羽の鶏《にわとり》の紛失や、一尺か二尺の地境《ちざかい》の喧嘩が問題になっている位のことで、前科者らしい者は勿論、素行の疑わしい者すら居なかった。それやこれやで、八月の末になると、もう事件が迷宮に入りかけて来た。
……やはり久しくこの辺を通らなかった兇悪な前科者が、通りがかりに遣付《やっつ》けた仕事だろう……。
といったような噂が一時、村の人々の間で有力になった。それにつれて滑稽にも村中の戸締りが俄《にわか》に厳重になったものであったが、しかしそれとても別にコレといった拠《よ》りどころの無い、空想じみた噂に過ぎなかったらしい。警察方面で、そんな方面に力を入れた形跡も無いうちに、刑事たちがパッタリ寄附かなくなったので、村の人々も安心したように口を噤《つぐ》んでしまった。そうして日に増し事件の印象を忘れ勝ちになって行くのであった。
もっともその間じゅう草川巡査は、毎日毎日電話でコキ使われていた。兇器が発見されないかとか、新しい聞込みは無いかとか、区長の財政状態はドウなったかとか、一知は相変らず働いているかとか、もう少し責任を負って仕事をしろ
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