った。顔には無精鬚が茫々と伸び、頬がゲッソリと痩せこけて、眼ばかり、奥深く底光りするようになった。夕方なぞ見窶《みすぼ》らしい平服で散歩するふりをして駐在所を出ると、わざと人目を忍んだ裏山伝いに、丘の上の深良屋敷の近くに忍び寄って、木蔭の暗がりに身を潜めつつ、新夫婦の仲のよい生活ぶりをコッソリと覗《のぞ》いている……といったような噂がいつとなく村中のヒソヒソ話に伝わり拡がった。ことに依ると深良屋敷の老夫婦殺しは、草川巡査かも知れん……なぞと飛んでもない事を云う者すら出て来るようになった。
その中《うち》に秋口になって、山々の木立に法師蝉《ほうしぜみ》がポツポツ啼き初める頃になると、深良屋敷の一知夫婦が揃いの晴れやかな姿で町へ出て、生れて初めての写真を撮った。無論それは二人の新婚の記念にするのだと云っていたが、その写真が出来て来たのを、区長の家で偶然に見せてもらった草川巡査は、何故かわからないが非常に緊張した、寧《むし》ろ悲痛な表情で一心に凝視していた。その写真屋の名前を何度も何度も見直してシッカリと記憶に止《とど》めてから、妙に剛《こわ》ばった笑い顔で鄭重に礼を云って区長の家を出た。何かしきりに考えながらも足取だけは小急ぎに国道へ出たが、ちょうど通りかかった乗合自動車《バス》を見ると、急に手を挙げて飛乗って町へ出た。記憶している名前の写真屋を直ぐに尋ね当てて、極く内々で一知夫婦の写真の焼増を一枚頼んだ。
するとちょうど助手の不注意で一枚余分に焼いたのが在ったので、草川巡査は久し振りに満足そうな笑顔を洩《もら》した。引ったくるようにその一枚を貰って、その足で鶴木検事を裁判所に訪問し、折柄、宣告を澄ましたばかりの検事に裁判所の応接室で面会をすると、その写真を手渡ししながら自分の見込をスッカリ打明けた。
意気込んでいる草川巡査の吶弁《とつべん》を、法服のまま静かに聞き終った禿頭《とくとう》、童顔の鶴木検事は草川巡査の質朴を極めた雄弁にスッカリ釣込まれてしまったらしい。草川巡査と同じように憂鬱な顔になって、両腕を深々と胸の上に組んだ。
「つまりその砥石《といし》の上で刃物の柄《え》を撞着《どうづ》いて、抜けないようにしたと云うのですな」
「そうです。そのほかに今申上げましたようなラジオや、戸締りに関する一件もありますので、テッキリ犯人と睨んでいるのですが」
「どうも…
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