てありますので、よくわかりませんが、枕元の畳と床の間のあいだが一面、血の海になっております」
「いつ頃殺されたんか。今朝か……」
「……わかりません。昨夜《ゆんべ》……多分……殺された……らしう御座います」
「泣くな――。たしかに死んでいるのだな」
「……ハイ……ツイ、今しがた、神林医師《かんばやしせんせい》を起して、見に行ってもらいましたが……まだ行き着いて御座らぬでしょう」
「うむ。一寸《ちょっと》待て……顔を洗って来るから」
草川巡査は、裸体《はだか》のまま直ぐに裏口へ出て、冷たい筧《かけひ》の水で顔を洗った。それから大急ぎで蚊帳と寝床を丸めて押入に投込んで、机の上に散らばっていた高等文官試験準備用の参考書や、問題集を二三冊、手早く重ねて片付けると今一度、駐在所の表口へ顔を出した。
「一知……」
「ハイ」
「こっちへ這入《はい》れ、足は洗わんでもええから……」
二人は駐在所の板の間に突立ったまま向い合った。草川巡査の小さな茶色の瞳は、モウ神経質にギロギロと輝き出していた。
「何時頃殺されたんか。わかっとるか」
一知は潤《うる》んだ大きな眼をパチパチさせた。
「……わかりません。昨夜《ゆんべ》十二時頃寝ましたが、今朝起きてみますと、モウ殺されておりましたので……蚊帳越しですからよくわかりませんが、二人とも寝床の中からノタクリ出して、頭が血だらけになっております……」
「それを見ると直《すぐ》に走って来たのだな」
「ハ……ハイ……」
暗い駐在所の板の間に立った一知は涙ながらも恐ろしそうに身震いした。そうして突然に大きな嚏《くしゃみ》を一つしたが、それは汗が乾きかけたせいであったろう。
草川巡査は無言のまま点頭《うなず》いた。傍《かたわら》の警察専用の電話に取付いて烈しくベルを廻転させると、静かな落付いた声で、五里ばかり離れている×市の本署へ、聞いた通りの事実を報告した。……と……向うから何か云っているらしい……。
「……ハ……ハイ。まだ、それ以上の事実はわかりませんので……ハイ。報告して参りました者は深良一知と申しまして村の模範青年です……ハイ。被害者の養子です。ハイ。元来《もともと》、この村の区長の次男であったのですが、今年の二月に深良家……被害者の処へ養子に行った者です。まだ籍は入れていないようですが、ナア一知……お前はまだ籍を入れておらんじゃろ……
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