って見ようなんていう度胸のある人間は、まだ一人も亜米利加に出て来ないんですってさあ……そんなステキな遊びが日本に在るのをあんた知らない……マア……そんな筈はないわ。ヤングは学者だから嘘なんか吐《つ》きやしないわよ。あんたは知っているけど気が付かないでいるのよ。日本ではそんなに珍らしくないから……。
……エ?……その遊びの名前ですって……それを妾スッカリ忘れちゃったのよ。イイエ本当よ……今に思い出すかも知れないけど……おぼえているのはその遊びの仕方だけよ。それあトテモ素敵な気持ちのいい遊び方で、聞いただけでも胸がドキドキする位よ。何でも亜米利加の言葉で云うと「恋愛遊びの行き詰まり」っていったような意味だったわよ。日本の言葉で云うと、もっと短かい名前だったようだけど……え?……その遊びの仕方を云ってみろって?……厭々《いやいや》。……それは妾わざっと話さないでおくわ。あんたが思い出さなければ丁度いいからね。おしまいの楽しみに取っとくわよ。……ええ……今夜は妾はトテモ意地悪よ。ホホホホホホ。
……でも、そんな話を初めて聞いた時には、妾《わたし》もうビックリしちゃって髪毛《かみのけ》をシッカリと掴みながらブルブル慄《ふる》えて聞いていたようよ。その頃の妾は今よりもズッと初心《うぶ》だったもんですからね……そんな話を平気でしいしい、青い顔をしてお酒を飲んでいるヤングの軍服姿が、だんだん恐ろしいものに見えて来て、今にも妾を殺すのじゃないか知らんと思い思い、その高い薄っペラな鼻や、その両脇に凹《くぼ》んでいる空色の眼や、綺麗に真中《まんなか》から分けた栗色の髪毛《かみ》を見つめていたようよ。何だか悪魔と話しているような気がしてね……。
だけど、そのうちにヤングから、そんな遊びの仕方を、一番やさしいのから先にして一つ一つに教《おそ》わって行くうちに、妾はもう怖くも何ともなくなってしまったのよ。……え……それあ本当の事はどうせ亜米利加《アメリカ》の本場に行って、色んな薬や器械を使わなくちゃ出来ないのが多かったし、一番ステキな日本式の遊びや、そのほかの生命《いのち》がけの遊びは相手が無いから、只|真似方《まねかた》と話だけですましたの。妾の身体《からだ》に傷が残るようなのも店の主人に見つかると大変だから、ヤングと一緒に亜米利加に行って結婚式を挙げてからの楽しみに取っといたけど、ほかのは大抵卒業しちゃったのよ。……それも初めのうちは、妾がヤングからいじめられる役で、首をもうすこしで死ぬとこまで絞《し》められたり、縛って宙釣りにされたり、髪毛《かみのけ》だけで吊るされたりして、とても我慢出来ない位、苦しかったり痛かったりしたのよ。だけどそのうちにだんだん慣れて来たら、その痛いのや苦しいのが眼のまわるほどよくなって来てね……妾があんまり嬉しそうにして涙をポロポロ流したりするもんだから、おしまいにはヤングの方が羨ましがって、いつも持っている小さな鞭《むち》を妾に持たして、それで自分の背中を思い切り打《ぶ》ってくれって云い出した位よ。
ええ……妾思い切り打ってやったわ。ヤングなら背中に鞭の痕《きず》が付いていても誰も気付かないでしょうし、妾も自分でいじめられる気持ちよさを知っていたんですからね……イイエ、音なんかいくら聞こえたって大丈夫よ。妾ヤングから教《おそ》わった通りに呑気《のんき》そうに流行歌《はやりうた》を唄いながら、その調子に合わせて打《ぶ》っていたから、外から聞いたって何かほかのものをたたいているとしか思えなかった筈よ。……でも、そうして寝台の上に長くなっているヤングの脂切《あぶらぎ》った大きな背中を、小さな革《かわ》の鞭で、力一パイにたたいている間の気持ちのよかったこと……打てば打つほどヤングが可愛いくなって来てね……そうしてもう、ヤングと一緒に亜米利加《アメリカ》へ行ったら、そんな遊びが本式に大ピラで出来ると思うと、楽しみで楽しみでたまらなくなっちゃったの。だから……妾は毎晩そんな遊びをする時間をすこしずつ裂《さ》いて、ヤングを先生にして一生懸命に亜米利加の言葉を勉強し続けたのよ。
妾は言葉を覚えるのが名人なんですってさあ。ヤングがビックリしていた位よ。ヤングとこんな話が出来るようになる迄でには一と月とかからなかったし、水兵さん達と悪態のつきっこをする位の事なら、初めっから訳なかったわ。おしまいにはヤングがよくポケットに入れて持って来る英字新聞《アングリウスクユガゼド》が、すこうしずつ読めるようになったから豪《えら》いでしょう。自分の国の字だと聖書もロクに読めないのによ。ホホホホホホホ。だって妾の両親はトテモ貧乏で、妾を学校に遣《や》る事が出来なかったんですもの……お化粧の道具なんかも、両親から買ってもらった事は一度も無かったのよ。だけどこの時ばかりは学者の奥さんになるのだからと思って、ずっと前から欲しくてたまらなかった型の小さい、上品なのを別に買って、バスケットの底に仕舞《しま》っておいたわ。ええ。それあ嬉しかったわよ。だってどうせ両親に売り飛ばされて、こんな酒場《レストラン》の踊り子になっている身の上ですもの……おまけに生れて初めて妾を可愛がってくれて、色んな楽しみを教えてくれたのが、そのヤングなんですもの……その頃の妾は今みたいな、オシャベリの女じゃなかってよ。どんな男を見ても怖ろしくて気味がわるくて、思うように口も利けない中に、たった一人そのヤングだけが怖くなかったんですもの……アラ……御免なさいね。泪《なみだ》なんか出して……妾……男の方の前で、こんな事を云って泣くのは今夜が初めてよ。ネ……笑わないでね。
そうしたら……そうしたらね、ちょうどあと月《げつ》だから十月の末の事よ。ヤングがいつになく悄気《しょげ》た顔をして這入《はい》って来て、この室《へや》で妾と差し向いになると、何杯も何杯もお酒を飲んだあげくにショボショボした眼付きをしながら、こんな事を云い出したの……。
「可愛い可愛いワーニャさん。私はいよいよあなたとお別れしなければならぬ時が来ました。あなたを亜米利加へ連れて行く事も思い切らなければならぬ時が来ました。私は明日《あす》の朝早く、船と一緒に浦塩《うらじお》を引き上げて布哇《ハワイ》の方へ行かなければなりませぬ。そうして日本と戦争を始めなければなりませぬ。そうなったら私は戦死をするかも知れないし、あなたを連れて行く訳にも行かなくなりました。昨夜不意打ちに本国からの秘密の命令が来たので、どうする事も出来ないのです。……しかしもしも戦争が済むまで私が死なないでいたらキット貴女《あなた》を連れに来ます。ですから何卒《どうぞ》今度ばかりは諦めて下さい」
……って……そう云っているうちに、ポケットからお金をドッサリ詰めた革袋を出して、妾の手に握らせたの。
妾、その革袋を床の上にたたき付けて泣いちゃったわ。
「そんな事は嘘だ」
って云ってね。それあ日本が亜米利加と戦争を初めそうだっていう事は、ズット前から聞いているにはいたけれども、ヤングの話はあんまりダシヌケ過ぎて、どうしても本当とは思えなかったんですもの。だから、
「あんたは妾を捨てて行こうとするのだ。何でもいいから妾はあんたを離れない。一緒に軍艦に乗って行く」
……って云って死ぬ程泣いて泣いて泣いて泣いて何と云っても聴かなかったの。しまいには首ッ玉に獅噛《しが》み付いて、片手で軍服のポケットをシッカリ掴んで離さなかったの……。
ヤングは本当に困っていたようよ。軍服の肩の処に顔を当ててヒイヒイ泣きじゃくっている妾を膝の上に抱き上げたまま、暫らアくジッとしていたようよ。けれどもそのうちにフイッと何か思出《おもいだ》したように私の顔を押し離すと、私の眼をキット睨《にら》まえながら、今までと丸で違った低い声で、
「ワーニャさん。いい事がある」
って云ったの。私はその時、何だかわからないままドキンとして泣き止みながらヤングの顔を見上げたら、ヤングは青白――イ、気味の悪い顔になって、私の眼をジ――イと覗き込みながらソロソロと口を利き出したのよ。前とおんなじ低い声でね……。
「ワーニャさん。いい事がある。貴女《あなた》がそれ程までに私の事を思ってくれるのなら、一つ思い切った事を遣《や》っつけてくれませんか。私が今から海岸の倉庫へ行って大きな麻の袋を取って来ますから、その中へ這入ってくれませんか。毛布を身体《からだ》に巻きつけておけば、人間だか荷物だかわからないし、寒くもないだろうと思いますから、そうして私の荷物に化けて軍艦に来て物置の中に転がっていてくれませんか。そうすれば、そのうちに私がうまく父親の司令官に話して、貴女を士官候補生の姿にして、私の化粧室に住まわせて上げますから……その話が出来るまで三度三度の喰べ物は、私が自分で持って行って上げます。随分窮屈で辛《つら》いでしょうけれども、暫くの間と思いますから辛棒《しんぼう》してくれませんか」
……って……ネエあんたどう思って……トテモ、ステキな思い付きじゃないの……イイエ、ヤングは本気で、そう云っていたのよ。妾を欺《だま》していたんじゃないの。もうすこし先までお話するとわかるわ……ええ今話すわよ。話すからもう一杯飲んで頂戴……曹達《そうだ》を割って上げるからね……。
妾《わたし》、この話を聞くと手をタタイて喜んじゃったわ。だって今までに活動や何かで見たり聞いたりした「恋の冒険」の中《うち》のどれよりもズット素敵じゃないの。女の児《こ》が支那米《しなまい》の袋に這入って、軍艦に乗って戦争を見物に行くなんて……ねえ……妾あんまり嬉しかったもんだから、思い切りヤングに飛び付いてやったわ。そうして無茶苦茶にキスしてやったわ。
ヤングも嬉しそうだったわよ。今までになく大きな声を出して歌を唄ったりしてね。そうして妾に、
「……それではドッサリお酒を飲みながら待っていて下さい。今夜は特別に寒いようだから、袋の中で風邪を引かないようにね。私はこれから袋を取りに行って来ますから」
って、そう云ううちに帽子を冠《かぶ》って外套を着て、どこかへ出て行ってしまったの。
妾、そん時に一寸《ちょっと》心配しちゃったわ。ヤングがそのまんま逃げて行ったのじゃないかと思ってね……だけど、それは余計な心配だったのよ。ヤングは間もなくニコニコ笑いながら帰って来て妾の顔を見ると、
「……おお寒い寒い……一寸《ちょっと》、その呼鈴《ベル》を押して主人を呼んでくれませんか」
って云ったの。妾、ヤングの足があんまり早いのでビックリしちゃってね。
「まあ……今の間《ま》にもう海岸まで行って来たの……そうして袋はどこに持って来たの……」
って聞いたらヤングは唇に指を当てて青い眼をグルグルまわしながら妙な笑い方をしたの。
「シッ……黙っていらっしゃい……近所の支那人に頼んで外に隠しておいたのです。今にわかりますから……」
ってね……そう云ううちに主人が這入って来たら、ヤングはいつもの通りその晩妾を買い切りにして、お料理やお酒をドンドン運び込ませて、妾に思い切り詰め込ましたのよ。……途中でお腹が空《す》かないようにね……そうして主人にはドッサリチップを呉《く》れて、面喰《めんくら》ってピョコピョコしている禿頭《はげあたま》を扉《ドア》の外へ閉《し》め出すとピッタリと鍵をかけながら、
「明日《あす》の朝十時に起してくれエッ」
……て大きな声で怒鳴《どな》ったの。そうしておいて妾の手をシッカリと握ったヤングは、あの窓を指さしながらニヤニヤ笑い出したのよ……。
妾ヤングの怜悧《りこう》なのに感心しちゃったわ。あの窓はその時まで、もっと大きな二重|硝子《ガラス》になっていて、その向うには、あんな鉄網《かなあみ》の代りに鉄の棒が五本ばかり並んでいたんだけど、その硝子《ガラス》窓を外《はず》して、鉄の棒のまん中へ寝台《ベッド》のシーツを輪にして引っかけて、その輪の中へ突込んだ椅子の脚を壁のふちへ引っかけながら、二人がかりでグイグイと
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