のない事……と云い切って立去りかけたところ、助太刀と共々三人が、抜き連れてかかりおった。……然るにこの助太刀の二人というのが相当名のある佐幕派の浪人で、身共の顔を見識《みし》りおって友川の手引をしたらしいと思われたが、事実、三人とも中々の者でのう。最初は峰打ちと思うたが、次第にあしらいかねて来た故、若侍を最初に仇《う》ち棄てて、返す刀に二人を倒おしたまま何事ものう引取ったものじゃ……しかし、それにしても若侍の事が何とのう不憫に存じた故、それから後《のち》に人の噂を聞かせてみたところが、何でも身共の姓名を騙《かた》って飲食をしておったどこかのナグレ浪人共が、別席で一杯傾けておった友川|某《なにがし》という旗本に云い掛りを附けて討ち果いた上に、料理を踏倒おして逃げ失せおった。そこでその友川の枕元に馳付けた兄弟二人が、父の遺言を書取って、仇討の願書を差出したものじゃが、しかしその友川某という侍は兄弟二人切りしか子供を持っておらぬ。その中でも兄の方は、とりあえず家督を継ぐには継いだが、病弱で物にならぬ。その代り弟の方が千葉門下の免許取りであったからそれに御免状が下がった……というのが実説らしいのじゃ。不覚な免許取りが在ったものじゃが、つまるところ、そこから間違いの仇討《あだうち》が初まった訳じゃ……その第一の証拠には、その旗本が斬られたという五月の頃おい、拙者はまだこの福岡に在藩しておったからのう……ハハハ。とんと話にならん話じゃが……」
 耳を傾けていた佐五郎老人はここで突然にパッタリと膝を打った。晴れ晴れしく点頭《うなず》いた
「ああ。それで漸々《ようよう》真相《こと》が解かりましたわい。実は私も見付の在所で、お下りのお客様からそのお噂を承りまして聊《いささ》か奇妙に存じておりましたところで……と申しますのはほかでも御座いませぬ。この節のお江戸の市中《まち》は毎日毎日|斬捨《きりすて》ばかりで格別珍らしい事ではないと申しますのに、只今のお話だけが馬場先の返討《かえりうち》と申しまして、江戸市中の大層な評判……」
「ほほう。それ程の評判じゃったかのう」
「間違えば間違うもので御座いまする……何でもその友川という若いお武家が、返り討《うち》に会うた会うた。無念無念と云うて息を引取りましたそうで、その亡骸《なきがら》の紋所から友川様の御次男という事が判明《わか》りました。それに連れて二人の助太刀も、同じ門下の兄弟子二人と知れましたが、それにしてもその返り討《うち》にした片相手は何人《なにびと》であろう。助太刀共に三人共、相当の剣客と見えたのを、羽織も脱がぬ雪駄穿《せったばき》のままあしろうて、やがて一刀の下に斬棄てたまま、悠々と立去る程の御仁のお名前が、江戸市中に聞こえておらぬ筈はないと申しましてな……」
「ハハハ。友川の兄御も、お役を退《ひ》かれた久世殿もその名前を御存じではあったろうが、何《な》にせい相手が霞が関の黒田藩となると事が容易でないからのう」
「御意の通りで御座います。……ところがここに又、左様な天下の御威光を恐れぬ無法者が現われました……と申しますのは、その御免状を盗みました掏摸《すり》の女親分で御座いまして、当時江戸お構いになっておりました旅役者上りの、外蟇《そとがま》お久美と申しまする者が、その評判に割込んで参いりましたそうで……」
「うむ。いよいよ真相《しょうもく》に近づいて来るのう」
「御意《ぎょい》に御座いまする。そのお久美と申しまするは、まだ二十歳《はたち》かそこらの美形《びけい》と承りましたが、世にも珍らしい不敵者で、この評判を承りますると殊《こと》の外《ほか》気の毒がりまして、お相手のお名前は妾《わたし》が存じておりまする。キット仇《かたき》を取って進ぜまするという手紙を添えて、大枚の金子《きんす》を病身の兄御にことづけた……という事が又、もっぱらの大評判になりましたそうで……まことに早や、どこまで間違うて参りまするやら解からぬお話で御座いますが……」
「ハハハ。世間はそんな物かも知れんて……」
「しかし、いか程お江戸が広いと申しましても、それ程に酔狂な女づれが居りましょうとは、夢にも存じ寄りませなんだが……」
「ウムウム。その事じゃその事じゃ。何を隠そう拙者も江戸表に居る中《うち》にそのような評判を薄々《うすうす》耳に致しておるにはおったがのう。多分、そのような事を云い触らして名前を売りたがっておるのであろう。真逆《まさか》……と思いながら打ち忘れておったところへ平馬殿の話を承ったものじゃから、実はビックリさせられてのう。あんまり芝居が過ぎおるで……」
「御意に御座いまする。もっともあの女も最初は、まだ評判の広がらぬ中《うち》に、御免状とお手形を使うて、関所を越えようという一心から、敵討《かたきうち》に扮装《いでた》ったもので御座いましょう。それから関西あたりへ出て何か大仕事をする了簡ではなかったかと、あの時に推量致しましたが……」
「いかにも――……ところが佐五郎どの程の器量人に逐《お》われるとなると中々尋常では外《はず》されまい。事に依ったらこの方角へ逃げ込んで来まいものでもない。しかも当城下に足を入れたならば、何よりも先に平馬殿の処へ参いるのが定跡《じょう》……とあの時に思うたけに、一つ平馬殿の器量を試《た》めいて見るつもりで、わざっと身共の潔白を披露せずにおいたものじゃったが。いや……お手柄じゃったお手柄じゃった……」
「まことにお手際で御座いました」
「ハハハ……平馬殿はこう見えても武辺一点張りの男じゃからのう……」
 二人は口を極めて平馬を賞め上げながら盆《さかずき》を重ねた。酌をしていた奥方までも、たしなみを忘れて平馬の横顔に見惚《みと》れていた。
 しかし平馬は苦笑いをするばかりであった。燃え上るような眼眸《まなざし》で斬りかかって来た女の面影を、話の切れ目切れ目に思い浮かべているうちに酒の味もよく解らないまま一柳斎の邸を出た。
 青澄んだ空を切抜いたように満月が冴えていた。
「……これが免許皆伝か……」
 とつぶやきながら平馬は、黒い森に包まれた舞鶴城を仰いだ。
 平馬の眼に涙が一パイ溜まった。その涙の中で月の下の白い天守閣がユラユラと傾いて崩れて行った。そうしてその代りに妖艶な若侍の姿が、スッキリと立ち現われるのを見た。……本望で御座います……と云い云い、わななき震えて、白くなって行く唇を見た。

 堀端《ほりばた》伝いに桝《ます》小屋の自宅に帰ると、平馬はコッソリと手廻りを片付けて旅支度を初めた。下男と雇婆《やといばば》の寝息を覗《うかが》いながら屋敷を抜け出すと、門の扉《と》へピッタリと貼紙をした。
「啓上 石月平馬こと一旦、女賊風情の饗応を受け候上《そうろううえ》は、最早《もはや》武士に候わず。君公師父の御高恩に背き、身を晦《くら》まし申候間《もうしそうろうあいだ》、何卒《なにとぞ》、御忘れおき賜わり度候《たくそうろう》。頓首」

 御用のため、江戸表へ急の旅立と偽って桝形門を抜け、石堂川を渡って、街道を東へ東へと急いだ平馬は、フト立止まって空を仰いだ。松の梢《こずえ》に月が流れ輝いて、星の光りを消していた。
 平馬は大声をあげて泣きたい気持になった。そのまま唇を噛んで前後を見かわしたが、
「……ハテ……今頃はあの三五屋の老人が感付いて追っかけて来おるかも知れぬ。あの老人にかかっては面倒じゃが……そうじゃ……今の中《うち》に引っ外《はず》してくれよう。どこまで行ったとてこの思いが尽きるものではない……」
 と独言《ひとりごと》を云い云い引返《ひっかえ》して、箱崎松原の中に在る黒田家の菩提所、崇福寺の境内に忍び込んだ。門内の無縁塔の前に在る大きな拝石《おがみいし》の上にドッカリと座を占めた。静かに双肌《もろはだ》を寛《くつろ》げながら小刀の鞘を払った。
 眼を閉じて今一度、若侍の姿を瞑想した。
 ……おお……そもじ[#「そもじ」に傍点]を斬ったのはこの平馬ではなかったぞ。世間体《せけんてい》の武士道……人間のまごころを知らぬ武士道……鳥獣の争いをそのままの武士道……功名手柄一点張りの、あやまった武士道であったぞ。……そもじ[#「そもじ」に傍点]のお蔭で平馬はようように真実《まこと》の武士道がわかった……人間世界がわかったわい。
 ……平馬の生命《いのち》はそもじ[#「そもじ」に傍点]に参いらする。思い残す事はない……南無……。



底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:篠原陽子
2001年4月7日公開
2006年2月22日修正
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