気持になった。そのまま唇を噛んで前後を見かわしたが、
「……ハテ……今頃はあの三五屋の老人が感付いて追っかけて来おるかも知れぬ。あの老人にかかっては面倒じゃが……そうじゃ……今の中《うち》に引っ外《はず》してくれよう。どこまで行ったとてこの思いが尽きるものではない……」
と独言《ひとりごと》を云い云い引返《ひっかえ》して、箱崎松原の中に在る黒田家の菩提所、崇福寺の境内に忍び込んだ。門内の無縁塔の前に在る大きな拝石《おがみいし》の上にドッカリと座を占めた。静かに双肌《もろはだ》を寛《くつろ》げながら小刀の鞘を払った。
眼を閉じて今一度、若侍の姿を瞑想した。
……おお……そもじ[#「そもじ」に傍点]を斬ったのはこの平馬ではなかったぞ。世間体《せけんてい》の武士道……人間のまごころを知らぬ武士道……鳥獣の争いをそのままの武士道……功名手柄一点張りの、あやまった武士道であったぞ。……そもじ[#「そもじ」に傍点]のお蔭で平馬はようように真実《まこと》の武士道がわかった……人間世界がわかったわい。
……平馬の生命《いのち》はそもじ[#「そもじ」に傍点]に参いらする。思い残す事はない……南無
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