心は実に惨憺たるものあり……云々という記事であったが、この最後の文句を書き添えた吾輩の文章の苦心が、如何に惨憺たるものがあるかを知っている者は我が山羊髯編輯長だけであろう。
それはいいが、その記事の終尾《おしまい》の処に次のような記事がデカデカと一号|標題《みだし》で掲載されていたのには驚いた。
密告者は芸妓《げいしゃ》だ[#見出し文字]
女の一念は恐ろしい[#小見出し文字]
=犯人の第二告白=[#前の行とは0.5行アキ、「犯人の第二告白」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
箱崎署員の談によると、犯人は発覚の端緒を箱崎見番の芸妓《げいしゃ》某の密告と認めているらしい。犯人の告白に依ると該箱崎見番の芸妓某は犯人の男振りに夢中になり、毎日のように客足の絶えた頃を見計《みはか》らって犯人の処へ顔を剃りに来たもので、その都度、お前と下駄屋の後家さんとは兼ねてから懇意ではないかと念を押すので、犯人は知らぬ知らぬの一点張りで追払っていた。ところへ昨日、隣家の地面の事に就いて、後家さんとの交渉取次を犯人に希望する客人が来たので、後家さんが時々来る旨を迂濶《うっかり》、お客に話したのを、例の通り顔剃りに来た芸妓が耳にするや憤然として理髪店を出て行ったが、彼《か》の女《じょ》が、憤慨の余り後家さんとの関係を箱崎署へ密告したものに相違ない。女の一念ぐらい恐ろしいものはありませぬ。私は元来無類|飛切《とびきり》の臆病者の神経屋ですから、人殺しをしてからというものは、あらん限り気を付けて、万に一つも手落ちの無いように心掛けていたものですが……と犯人は繰返し繰返し戦慄している。
[#ここで字下げ終わり]
後家を殺して[#見出し文字]
高飛びの計劃[#小見出し文字]
=犯人の第三告白=[#前の行とは0.5行アキ、「犯人の第三告白」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
犯人は箱崎署の厳重な取調べに包み切れず、次のような恐ろしい犯行の予定計劃を白状した。
恐れ入りました。私の人殺しの真実の動機を教えてくれたものはあの後家さんです。ですからあの後家さんが生きている間は、枕を高くして寝る事が出来ません。現に後家さんは私を疑って、時々そんな口ぶりを洩らしている位ですから、後家さんから頼まれている地面の売れ次第、その金を捲上げて、後家さんの口を閉《ふさ》いで、高飛びするつもりでした。
どうせ死刑になるんなら何も彼《か》も申上げて死にます。御手数をかけて済みません。云々。
[#ここで字下げ終わり]
吾輩は呆れた。驚いた。昨日《きのう》、後家さんの話をした時に急に変った理髪屋《とこや》の親方の悪魔|面《づら》を思い出して飛び上った。まるで名探偵の吾輩の行動を一から十までチャント見ていたような名記事だ……と思い思いその新聞を持って編輯室に押しかけて行った。
安い弁当飯を頬張って山羊髯をモクモクと動かしているおやじ[#「おやじ」に傍点]の鼻の先へ新聞記事を差付けて指《ゆびさ》した。
「この記事は誰が書いたんですか」
「ムフムフ。わしが……書いたがナ……」
と云い云い山羊髯にクッ付いた飯粒を抓《つま》んで口の中へ入れた。序《ついで》に総入歯の下の段を鼻の先へ抓み出して白茶気《しらちゃけ》た舌の先でペロペロと嘗《な》めまわした。
不愉快なおやじ[#「おやじ」に傍点]だな……と思ったが、それどころではなかった。
「……冗談じゃない。コンナ馬鹿な事を犯人が喋舌《しゃべ》ったんですか」
「ムフムフ。第二の告白の方は昨日《きのう》の夕方箱崎の署長が当社へ礼云いに来た。お蔭で、永い間の不名誉を回復しましたチウテナ。法学士出のホヤホヤの署長じゃが、学生上りの無邪気な男でな。その序《ついで》に何も彼《か》も喋舌って行きよりましたよ」
「第三の告白の方も署長が喋舌ったんですか」
「イイヤ。それはわし[#「わし」に傍点]が署長に入れ智恵したことですわい。犯罪の定石ですからな。あの署長は無経験な正直者ですけにキットわし[#「わし」に傍点]が云うた通りに誘導訊問をしましょうて……」
「ヘエ……それじゃ、まだ実際に白状した訳じゃないんですね」
「……モウ今頃は白状しとりましょう。犯人もむろん後家さんと同棲する腹じゃないのじゃから、将来の考えが頭の中でチグハグになっとるに違いない。それじゃからどこかで返事をし損ねてキット誘導訊問に落ち込んで来ますてや。たとい犯人が否定し通しても箱崎署から文句を云うて来る気づかいはありません。君の手腕に恐れ入って感謝しとるのじゃから……実はこの朝刊の記事がすこし足りませんでしたからな。アンタのお株をチョット拝借したまでじゃ……ヒッヒッ……」
「驚いた。生馬《いきうま》
前へ
次へ
全27ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング