ろきましたねえ。旦那のアタマの良いのには……」
「ナアニ。外国の犯罪記録を調べてみるとコレ位の事件はザラに出て来るよ。山の中の別荘で寝しなに、可愛がって頂戴と云った女を急に殺してみたくなったり、霧の深い晩に人を撃ってみたくなってピストルを懐《ふところ》にして出かけたりするのと、おんなじ犯罪の愛好心理だ。所謂《いわゆる》、純粋犯罪というのとおんなじ心理状態が、この事件の核心になっていると思うんだ。そんな人間が都会に住んでいる頭のいい学者とか、腕の冴えた技術家とかいうものの中からヒョイヒョイ飛出す事がある……と横文字の本に書いてあるんだ。つまり文化意識の行き詰まりから生まれた野蛮心理だね」
「ヘエエ。なかなか難解《むずか》しいもんで御座いますね」
 親方の剃刀が、微かな溜息と一緒に吾輩の襟筋で動き出した。同時に吾輩も心の中でホッとした。生命《いのち》がけの冒険が終局に近付いて来たらしいので……。
「日本の警察なんかじゃ、そんなハイカラな犯罪がある事を知らないもんだから、犯罪と云やあ、金か女かを目的としたものに限っているように思って、その方から探りを入れようとするんだ。だからコンナ事件にぶつかると皆目《かいもく》、見当が附かないんだよ」
「ヘエ。警察では、その目的って奴を、まだ嗅ぎ付けていないんでしょうか」
「いないとも……浮浪人狩なんか遣っているところを見ると、この事件の性質なんか全然《てんで》問題にしないで、見当違いの当てズッポーばっかり遣っているらしいんだね。そうしてこの頃ではモウすっかり諦らめて投出しているらしいね。だからこの犯人は捕まりっこないよ。絶対永久の迷宮事件になって残るものと僕は思うね」
「ヘエ。どうしてソンナ事まで御存じなんで……」
 吾輩はヒヤリとした。そういう親方の声が妙に図太く聞えたので、扨《さて》は感付かれたかナ……と内心狼狽したが、色にも出さないまま、眼を閉じて言葉を続けた。
「ナアニ。僕はソンナ事を研究するのが好きだからさ。だからあの空屋《あきや》を買ってみたくなったんだよ。そんな犯罪事件のあった遺跡《あと》を買って、落付いて調べてみると、意外な事実を発見する事があるんだからね。そんな山ッ子が僕の商売なんだがね」
「へえ――。うまく当りますかね」
 親方がニヤニヤ冷笑しながら云った。……吾輩の言葉の意味がわかっているのだ。犯人の盗み忘れた金《かね》を探そうと目論《もくろ》んでいる吾輩の気持がわかったので冷笑しているのだ。その金がモウ無い事を知っているもんだから……。
 吾輩は腹の中で二度目の凱歌をあげた。
「ウン。僕が狙った事件で外れた事件《やつ》は今までに一つも無いよ。要するにこの頭一つが資本だがね。ハッハッハッ」
「ヘエ。珍らしい御商売ですね」
 親方が又コッソリ三尺ばかりの溜息を吐いた。吾輩のチャラッポコを信じて安心したらしい。吾輩も二尺五寸位の溜息をソッと洩らしながら椅子の中から起上った。
「お待遠さま……お洗いいたしましょう」
 サッパリと洗って、いい気持になった吾輩が又、椅子に腰をかけると、親方が新しいタオルで拭き上げて、上等のクリームを塗って、巧みにマッサージをしてくれた。
「……こんにちは……御免なさっせ……」
「入らっしゃい」
 新しい客が来た。ここいらの安見番《やすけんばん》の芸者らしい。但、着物の着附だけが芸者と思えるだけで、かんじんの中味はヨークシャ豚の頭に、十銭ぐらいのかしわ[#「かしわ」に傍点]の竹の皮包みを載っけた恰好だ。そいつが腐りつきそうな秋波を親方に送った序《ついで》に吾輩をジロリと睨みながら、吾輩がタッタ今立上った椅子の座布団の中へドシンと巨大《おおき》な大道臼《だいどううす》を落し込んだ。愛想《あいそ》もコソもあったもんじゃない。
「イヤ。お蔭でサッパリした。ところでどうだい。今の地面の話は……モウ少し歩み寄ってもいいんだが……。決して君を跣足《はだし》にしやしないが、先方はどこに居るんだい」
「ヘエ。これはモウ……何でも門司の親類の処に居るんだそうですが、時々八幡様を拝みかたがた様子を聞きに参りますんで。モウ今日あたり来る頃と思うんですが。二三日中に来るってえ手紙が、二三日前に参りましたんで……」
「ヘヘッ。お安くないね。うまく遣ってるじゃないか一木の後家さんと……」
「じょ……じょ……じょうだん……」
 と親方は何かしら顔色を変えながら芸者の方をチラリと見た。しかし吾輩は何も気付かなかった。背後を振向いた時には、大きなお尻を振り振り、表口を邪慳《じゃけん》に開けて出て行く、豚芸者の後姿が見えた。……何という変な芸者だ。そんなに待たせもしないのに……と思っただけであった。
 そのサッサと帰って行く後姿を見送りながら、苦々しい表情で瀬戸火鉢の前に腰を卸して、長羅
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