がある。寧《むし》ろ後家さんは全然無関係の者として研究した方が早くはないか。後家さんを疑うたらこの事件は迷宮に這入るかも知れんと、ワシが最初に云うておいたが、果してそうじゃった。それじゃから、よしんばアンタの男前で後家さんを口説《くど》き落しても何も掴めまいてや。無駄な事は止めなさい。昨夜のお玉さんなんぞと違うて、モウええ加減な婆さんじゃからのう。ヒッヒッヒ」
「ジョ冗談じゃない。モウそんな裏道へは廻りません。真正面から現場《げんじょう》を調べてみます。それから近所の住人の動静を探ってみます。とにかく僕が一つ迷宮の奥まで突抜けてみます」
「ホホ。中途で警察の世話にならんようにナ」
「承知しました」
 吾輩はそのまま、威勢よく玄洋日報社を飛出した。
 外に出てみると晩秋から初冬にかけて在り勝ちな上天気だ。
 福岡市外というから箱崎町はかなり遠い処かと思ったら何の事だ。町続きで十分ぐらいしか電車に乗らないうちに、筥崎《はこざき》神社前という処に着いた。鳥居前に立ってみると左手の二三町向うに火見櫓《ひのみやぐら》が見える。田舎の警察というものは大抵火見櫓の下に在るものだ。事件は警察の直ぐ近くで起ったんだなと気が付いた。
 思ったよりも立派な神社なので、思わず神前にシャッポを脱いで一銭を奮発した。今日の探険を成功せしめ給えと祈った。自分でも少々おかしいと思ったが、人間、行詰まると妙な気になるもんだ。俺みたようなインチキ野郎の御祈祷に、見通しの神様が引っかかってくれるか知らん……なぞと考え考え、お宮の北側の狭い横町に出て来た。境内一面の楠《くすのき》の下枝と向い合って、雀の声の喧《やかま》しい藁葺《わらぶき》屋根が軒を並べている。御維新以前からのまんまらしい、陰気なジメジメした横町だ。
 ……ここいらに違いない……と気が付いて見廻わすとツイ鼻の先に、軒先一面にペンペン草を生やした陰気な空屋があって、閉《た》て切った表の戸口に「売貸家《うりかしや》」と書いた新聞紙がベタベタと貼ってある。その左隣は近ごろ開店したらしい青ペンキの香《におい》のプンプンする理髪屋《とこや》で、右隣は貧弱な荒物屋兼駄菓子屋だ。どうもこの家《うち》らしいと思って、右側の駄菓子屋のお神《かみ》さんに聞いてみると果してそうだった。
「何か判然《わか》りまっせんばってん、事件から後《のち》、夜になると隣家《となり》の家《うち》の中をば、火の玉が転めき廻わるチウお話で……」
 と魘《おび》えたような眼付をした。その火の玉というのは、犯人が被害者の隠している金《かね》を探している懐中電燈の光りじゃなかろうか……といったような想像が、直ぐに頭へピーンと来た。だいぶ神経が過敏になっていたらしい。
「隣家《となり》の地面はまだ売れないんですね」
 と店先の燐寸《マッチ》でバットに火を点《つ》けて神経を鎮《しず》めながら聞くと、
「イイエ。貴方《あなた》。人殺しのあった家《うち》チウて、あんまり評判が悪う御座いますけに誰も買いに来《き》なざっせん。わたしの家も気味の悪う御座《ござん》すけに、どこかに移転《うつ》ろうて云いおりますばってんが、この頃、一軒隣に、新しい理髪屋《かみつみや》が出来まして、賑やかしうなりましたけに、どうしようかいと考え居《と》ります」
「ヘエ。あの理髪屋《とこや》はここいらの人ですか」
「いいえ。どこの人か、わかりまっせんばってん、親方さんが愛嬌者だすけに、流行《はや》りおりますたい。あなた……」
「僕は隣家《となり》の空屋を見たいんですがね」
「ヘエ……あなたが……」
「僕が……実は隣家《となり》を買いたいんですが」
 お神さんは妙な顔をして吾輩を見上げ見下《みおろ》した。ドンナに見上げても見下しても家屋敷を買おう……なんていう御仁体《ごじんてい》でない事を自覚していた吾輩は、内心ヒヤヒヤしながら拾い物のステッキを斜《ななめ》に構えて、バットの煙を輪に吹いて見せた。するとお神さんが、慌てて襟元を繕《つくろ》って、櫛巻髪《くしまきがみ》を撫で上げて敬意を払ったところを見ると、多分ソレ位の金持に見えたのであろう。
「ヘエ。それは貴方……それならこの家《うち》の裏からお這入りなさいまっせえ。表の戸口は鍵掛《かか》ってはおりまっせんばってん、裏口の方からは眼立ちまっせんけに……どうぞ……」
 お神さんは吾輩が、もしかすると隣家《となり》へ来る人かも知れないと思ったらしく早くも親切と敬意を見せ初めた。ここで本格式に行くとこのお神さんを捕まえて、根掘り葉掘り当時の状況を聞き訊すところであったが、気が急《せ》いていたのであろう、吾輩はそのまま駄菓子屋の裏庭を通り抜けて、問題の空屋の裏口から、コッソリと這入って行った。
 勿論被害者の後家さんが何とか処分したものと見えて、
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