え玉ちゃん。僕も実はスッカリ東京を喰い詰めちゃってね。はるばる九州クンダリまで河合又五郎をきめて来たんだ。そうしてタッタ今、玄洋新聞社に這入って、記事を取って来いって云われたもんだから、一気に飛び出して来たら君にぶつかっちゃったんだ」
「大変なものを自摸《ツモ》しちゃったのね」
「ウン、万一ヘマを遣ると君と一緒に新聞記事にされた上に、オマンマの種に喰付き損になるんだ」
「困るわね」
 お玉は真剣に吾輩の事を心配しているらしく、両手をワンピースの膝の上で拝み合わした。実は、吾輩もここでこの女に宿賃なんか払わしちゃ江戸ッ子の名折れになる。どうかして編輯長に電話をかけて、せめてここの宿賃だけでも月給の前貸しをしてくれと頼みたい一心でコンナ話を持ち出したのであったが、そこは相手が女だけに、吾輩のそうした腹を察し得なかったらしい。何か思案しながらジッと閉じていた眼を、やがて嬉しそうに見開くと、両手をポンとたたき合わして椅子をスリ寄せて来た。
「――それじゃアンタ……いい事があるわ。明日《あした》ね。妾が、この麻雀《マージャン》の籠を持って大阪へ行ったら、ここの警察へ思い切り馬鹿にした投書をするから、その投書を新聞に素《す》ッ破抜《ぱぬ》いてやったらいいじゃないの。アンタが書いた文句を妾が写して行ってもいいでしょう。そいつを記事にしたら警察でもビックリするにきまっているわよ」
「ウーム。それもそうだな」
「何とか面白い文句を考えて頂戴よ」
「駕籠《かご》を抜けたが麻雀《マージャン》お玉。警察《さつ》のガチャガチャ置き土産。アラ行っちゃったア……っていうのはどうだい」
「――ナアニ。それ安来節!」
「ウン。今浅草で流行《はや》り出している」
「面白いわね。妾今夜踊るわ、その文句で――」
「止せよ。見っともない。ワンピースの鰌《どじょう》すくいなんかないぜ」
「新聞記者救いならワンピースで沢山よ」
「巫戯化《ふざけ》るな」
「フザケやしないわ。真剣よ。東南西北《トンナンシーペー》苦労の種をツモリ自摸《つも》って四喜和《スーシーホー》っていう歌もあるわ」
「アラ。振っチャッタア……ってね」
「まあ憎くらしい」
「アハハハ……あやまったあやまった……」

       三

 あくる朝眼が醒めた吾輩は象牙色の天井を仰ぎながら考えた。夢を見ているのじゃないか知らんと思った。それから博多湾の朝景色を見晴らす窓を見て、ヤット昨夜《ゆうべ》の事を思い出した。その時にフイッと気が付いて隣りの部屋を覗いて見ると、箱師のお玉が居ない。卓子《テーブル》の上に香水のプンプンするハンカチが一つ残っている切りである。
 吾輩は無性に腹立たしくなった。何かしらシテヤラレタという感じに打たれながらベルを押すと、ボーイが来ないで、支配人が、魔法瓶と新聞を両手に持って這入って来た。
「お早よう御座います。お風呂が湧いております」
 と云い云い妙にニコニコ笑っているのが気になった。
「連《つ》れの人はどうしたい」
「ハイ。今朝《けさ》早く、お出ましに……お立ちになりました」
 と云い紛らしながら、うつむいた。
 可笑《おか》しくて堪まらないのをジッと我慢している恰好である。いよいよ気になった。
 尤《もっと》も笑われるのも無理はないと云えば云える。日本一の間抜け面《づら》に違いなかったんだから……。
「今何時頃なんだい」
「ハイ……五時過で御座います」
「何……五時過……いつの……」
「ヘヘヘ……今日の……」
「きょうは何日だい」
「二十一日……」
「ハイ……只今出ました夕刊で御座います」
 と夜卓子《ナイトテーブル》の上に置くや否や、支配人は最早《もう》一刻もたまらないという風に、お辞儀をしてコソコソと出て行った。吾輩は博多湾内の光景を今一度見まわした。成る程夕方に違いない。曇っているもんだから、夕景色が朝景色に見えたんだ。
 何ともいえない不安な気持に包まれた吾輩は、取る手遅しと玄洋日報の夕刊を引き開くと、下らない海外電報が、薄汚ない活字で行列している。東京の新聞の切抜らしいのが特に大きく載せてあるのが浅ましい。吾輩はチョットの間《ま》憂鬱になった。昨日《きのう》門司で質に置いた懐中時計が、矢張り五時頃を指しているだろうと妙な悲哀《センチ》に囚《とら》われながら、第二面を開くと、アッと驚いた。マン中の目貫《めぬき》の処に、お玉の写真がデカデカと載っている。

   箱師のお玉捕えらる[#見出し文字]
      今朝博多駅にて[#小見出し文字]
         警察を愚弄した手紙と[#ゴシック体]
          密輸宝石数万円携帯[#ゴシック体]

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 兼ねて東海道線を荒しまわって東京と大阪の警察に散々御厄介をかけていた箱師のお玉(二七)という
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