敷では間に合わなくなったので、別の新しい大風呂敷を出してキューと包み上げながら店を出た。紺羅紗《こんラシャ》の筒ッポーに黒い鳥打帽、黒い前垂れに雪駄《せった》という扮装だから、どこかの店員が註文品でも届けに行く恰好にしか見えない。しかも、そうした前後の服装の態度の変化がチットも不自然じゃない。慣れ切っている風付《ふうつ》きを見ると、一筋縄で行く曲者《くせもの》じゃなさそうだ。二人の刑事が車掌台に頑張っていなかったら吾輩とても撒《ま》かれたであろう。
若い男は大胆にも、タッタ今刑事を載せて行った電車のアトから電車道の大通りをこっちに渡って、吾輩が立っているのに気が付いてか付かないでか見向きもせずに通り抜けて、西門通りの横町に這入って行った。それから二三町行って小さな坂道を降りると、郵便局の前から又右に曲った。オヤオヤこの辺をグルリと一廻りするつもりかな……と思い思いあとから電車通りに出てみると、先に立った若い男は呉服町の停留場まで来て、ちょっと躊躇しながら、右手の博多ビルデングの中へスウッと消え込んだ。
博多ビルデングというのは、この頃建った福岡一のルネッサンス式高層建築で、上層の三階が九州随一の豪華を誇る博多ホテルになっている。その下の方はカッフェ、理髪、玉突、食堂なぞいうデパートになっていて、いずれも福岡一流のダンデーな紳士が行く処だそうな。
そんな処とは知らないもんだから、若い男の後《あと》から跟《つ》いて行った吾輩は、ビルの玄関に這入るとギョッとした。ナアニ、設備の立派なのに驚いたんじゃない。正面の大鏡に映った吾輩の立姿の見痿《みすぼ》らしいのに気が附くと、チャキチャキの江戸っ子もショゲ返らざるを得なかったのだ。同時に、今の田舎からポッと出の青年店員みたような男が這入る処じゃないと気が付いた。
「畜生。俺を撒く了簡《りょうけん》だな」
と思うと直ぐ鼻の先に居る下足番に帽子《シャッポ》を脱いで聞いた。
「今ここへ若い店員風の男が這入って来たでしょう」
「ヘエ……」
と下足番は眼を丸くして吾輩を見上げ見下《みおろ》した。やはり刑事か何かと思ったのであろう。
「そのエレベーターに乗って行きました」
と指さす鼻の先へ、小さなエレベーターがスッと降りて来た。青い筋の制服を着たニキビだらけの小僧が運転している。
吾輩は直ぐにその中に飛び込んだ。
「お待遠様。どちらまで……」
とニキビ小僧が平べったい声を出した。
「今、ここへ店員みたような若い男が乗ったろう」
「ヘエ。……イイエ……」
「どっちだい。乗ったか乗らないか」
「若い断髪のお嬢さんならお乗りになりました」
「ナニ。若い断髪……」
吾輩は下足番の顔とエレベーターボーイのニキビ面《づら》を見比べた。二人とも妙な顔をしている。吾輩も多分妙な顔であったろう。このビルデングの真昼さなかに幽霊が出るのじゃあるまいかと疑っていたから……。
「向うの洗面所《トイレット》から出て来られた方でしょう。大きな風呂敷包をお提げになった……」
「ウン。それだそれだ。鼻の高い、眉毛の一直線になった女だろう」
「ヘエ。ベレー帽を冠った、茶色のワンピースを召して、白い靴下にテニス靴をお穿きになった」
「畜生。早い変装だ。黒羅紗の筒ッポの下に着込んでいやがったんだ」
「ヘエ。変装ですか……今のは……」
「イヤ。こちらの事だ……君は東京かい」
「私ですか……」
「ウン君さ……」
「ヘエ。東京の丸ビルに居りました」
「道理でベレー帽なんか知っている……どこへ行ったいそのワンピースは……」
「四階の博多ホテルへお泊《とまり》になりました」
「フーン。支配人は何という人だい。ホテルの……」
「霜川さんですか。支配人ですが……」
「ありがとう。一泊イクラだい。ホテルは……」
「ヘエ。特等が十円、一等が七円、普通が四円で、ダブルの特等は十五円になっております。別にチップが一割……」
「フウン。安いな。俺も泊るかな」
ボーイが吾輩の顔を見てニヤニヤと笑いやがった。どうも貧乏をすると余計な処へ来て、余計な恥を掻《か》く……畜生。どうするか見やがれ……。
「ヘイ。お待遠さま。ホテルで御座います」
ボーイが開けた網戸から追い出されるように飛び出した吾輩は、久し振りに眼の醒《さ》めるようなサルーンに直面させられて、少なからず面喰らった。
けれどもその次の瞬間にはモット面喰らわせられる大事件が持上った。そのサルーンの一番手近い向う向きになっている長椅子の派手な毛緞子《ダマスク》の上からスックリと立上った艶麗、花を欺くような令嬢……だか化生《けしょう》の女だかわからない女が吾輩と直面した。しかも、その直面した白い顔がタッタ今追いかけて来た若い店員の顔だったのには肝を潰した。ちょっとトイレットに這入って、黒い外
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