かったかな……と思った。元来、何しにここへ来たんだか吾輩自身にもわからないので、いわば好奇心に駆られて来たに過ぎない。とりあえずこれから用向きを考え出さなければならないのだが、コンナ婦人に改まられると、考えて来た用向きでも引込んでしまうのが吾々、男性の弱点である。
「只今。千代町の藤六|爺《じい》から電話がまいりましたが……生憎《あいにく》途中で切れましたが……」
ああ助かったと吾輩は思った。チャンスチャンス……。
「……あの娘がどうか致しましたので……」
「ヘエ。実はその……此村……ヨリ子さんが……」
「どうしたんですか一体……」
急《せ》き込んだ夫人の語気が、だんだんお里をあらわして来た。吾輩は思い切って打明けた。
「実は……その自殺未遂で……」
「エッ。自殺……」
この時の夫人の驚きようの美くしかったこと……市川|松蔦《しょうちょう》だって、こうは行くまい。細長い三日月|眉《まゆ》の下で、大きな瞳をゆっくりとパチパチさした。唇を半分開いてワナワナと震わした。白い両手を胸の上でシッカリと握り合わしてヨロヨロと背後《うしろ》へよろめいた。たしかに西洋映画の影響だ……と思ううちに、美しい幻影は、そのまま扉《ドア》を開いてスウと応接間の外へ辷り出た。
……が間もなくその幻影が、黒ずくめの風采堂々たる紳士の手を引いて這入って来た。四十四五の新調モーニングの白金《プラチナ》鎖だ。新聞で知っている電力重役、安島二郎氏だ。
二人は吾輩の眼の前に立並んで威厳を正した。瓦斯器修繕屋《ガスなおしや》然たる吾輩を二人で、マジリマジリと見上げ見下《みおろ》し初めた。何だか新派悲劇じみて来たようだ。
手に持った吾輩の名刺をチラリと見た安島二郎氏はブッスリと唇を動かした。
「私は安島二郎です。何か……その……此村とかいう娘が自殺したと云わるるのですか」
「そうです。あの下宿の二階でカルモチンを服《の》んで、目下手当中です。まだ生死不明ですが、とりあえず、お知らせに……」
二郎氏は今一度、吾輩を見上げ見下《みおろ》した。新聞記者の機敏なのに驚いたらしい。
「ハハア。どうして私の家《うち》と関係がある事が、おわかりになりましたかな」
「お迎えの人力車が参りましたので、それに乗って参りました」
夫婦は顔を見合わせた。今度は図々しいのに驚いたらしい。
二郎氏が貴族風に肩を一つゆす
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