。……否……タッタ一人居る。
 ……村井……村井だ。……
 そう気が付いた時に彼は又も脊髄までドキンとさせられながら立佇まった。
 彼は眼を一パイに見開いた。唇をワナワナと震わした。今までよりも更に数等深い鋭い恐怖に襲われつつ、白昼の夢遊病者のようにノロノロと自分の周囲を見まわした。
 其処《そこ》はちょうど資生堂の横町らしかった。左側の横町一パイに重なり合って行列していたタクシーの先頭の一つが彼に向って手をあげて見せた。彼はフラフラと其の中へ転がり込んだ。
「日本橋の二〇二〇三……じゃない。本石町の医療器械屋へ……イヤ……本石町へ行けばいいんだ……」
 と殆んど夢うつつの様に彼がつぶやいたのと、自動車が動き出すのと殆んど同時であった。彼はクッションのマン中にドタンと尻餅を突いて引っくり返りそうになった。
「……村井だ……村井だ……」
「完全な犯罪」の側杖を喰って、星田以上の恐怖に打ち拉《ひし》がれていた彼は、最早《もう》、自分の意志を無くした空っぽの人形として動いているだけであった。ただ頭の片隅に残っている疑惑の指さし示すがままに、そっちの方角へヒョロヒョロと行って見るよりほかに、何
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