も最前から何くれとなく世話を焼いていた仕繰夫《しくり》の源次が、特別に執拗《しつこ》く盃を差し付けたので、元来がイケナイ性質《たち》の福太郎は逃げるのに困ってしまった。
「おらあ酒は飲み切らん飲み切らん」
 の一点張りで押し除《の》けても、
「今日ばっかりは別ですばい」
 と源次が妙に改まってナカナカ後に退《ひ》きそうにない。そこへお作が横合いから割込んで、
「福さんはなあ。親譲りの癖でなあ。酒が這入ると気が荒うなるけん、一口も飲む事はならんチウテ遺言されて御座るげなけになあ。どうぞ源次さん悪う思わんでなあ」
 と散々にあやまったのでヤット源次だけは盃を引いたが、他の者は、その源次へ面当《つらあて》か何ぞのように、無理やりにお作を押し除《の》けてしまった。
「いかんいかん。源公が承知しても俺が承知せん。酒を飲んで気の違う人間は福太郎ばっかりじゃなかろう。親代りの俺が付いとるけに心配すんな」
 とか何とか喚《わめ》き立てながら、口を割るようにして、日陽《ひなた》臭いなおし[#「なおし」に傍点]酒を含ませたので、福太郎は見る見る顔が破裂しそうになるくらい真赤になってしまった。平生《ふだん》から無口なのがイヨイヨ意気地が無くなって盃を逃げ逃げ後退《あとしざ》りをして行くうちに、部屋の隅の押入の半分|開《あ》いた襖《ふすま》の前に横倒しになって、涙ぐんだ眼をマジリマジリと開いたり閉じたりしながら、手を合わせて盃を拝むようになった。
 すると集まった連中は、これで御本尊が酔い倒れたものと思って満足したらしい。盃を押しつけに来る者がヤット無くなって、後は各自《めいめい》勝手に差しつ差されつする。その中にお作がタッタ一人の人気者になって、手取り足取りまん中に引っぱり出されて、八方から盃を差されたり、お酌をさせられたりしていたが、そのうちにいつの間にかお作自身が酔っ払ってしまったらしい。白い脂切《あぶらぎ》った腕を肩までマクリ上げると、黄色い声で相手構わず愛嬌を振り撒きはじめた。
「サア持って来なさい。茶碗でも丼《どんぶり》でも何でもよか」
「アハハハ。お作どんが景気付いたぞい」
「今|啼《な》いた鴉《からす》がモウ笑ろた。ハハハハ」
「ええこの口腐れ。一杯差しなさらんか」
「ようし。そんならこのコップで行こうで」
「まア……イヤラッサナア……冷たい盃や受けんチウタラ」
「ヨウヨウ。久し振りのお作どんじゃい。若い亭主持ってもなかなか衰弱《めげ》んなあ」
「メゲルものかえ。五人や十人……若かりゃ若いほどよか」
「アハハハハ。なんち云うて赤いゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]は誰《だ》がためかい」
「知りまっせん。大方|伜《せがれ》と娘のためだっしょ」
「ウワア。こらあ堪らん。福太郎はどこさ行《い》たかい」
「押入《おしこみ》の前で死んだごとなって寝とる」
「アハハ。成る程。死んどる死んどる。ウデ蛸《だこ》の如《ごと》なって死んどる。酒で死ぬ奴あ鰌《どじょう》ばっかりションガイナと来た」
「トロッコの下で死ぬよりよかろ」
「お作どんの下ならなおよかろ」
「ワハハハハ」
「おい。みんな手を借せ手を借せ。はやせはやせ」
 と云ううちに皆《みんな》は、コップを抱えたお作の周囲《まわり》をドヤドヤと取巻いた。そうして嘗《かつ》て、ウドン屋でお作を囃《はや》した時の通りに、手拍子を拍《う》って納屋節を唄い出した。
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「白い湯もじ[#「もじ」に傍点]を島田に結《ゆ》わせエ
赤いゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]を買わせた奴はア
どこのドンジョの何奴《どんやつ》かア
ドンヤツドンヤツどんやつかア
ウワア――アアア――」
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「ようし……」
 とお作は唄が終るか終らぬかに、コップの冷酒をグイと飲み干して立ち上った。
「そんげに妾《あたし》ば冷やかしなさるなら、妾もイッチョ若うなりまっしょ」
 と云ううちに、そこに落ちていた誰かの手拭を拾って姉さん冠《かぶ》りにした。それから手早く前褄《まえづま》を取って、問題の赤ゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]を高々とマクリ出したので、皆一斉に鯨波《ときのこえ》を上げて喝采した。
「……道行き道行き……」
 と叫んだ者が二三人あったが、その連中を睨みまわしながらお作は、白い腕を伸ばしてラムプの芯を煤《すす》の出るほど大きくした。
「源次さん。仕繰《しく》りの源次さん……アラ……源次さんはどこい行きなさったとかいな」
 その声が終るか終らないかにモウ一度、割れむばかりの喝采が納屋を揺がしたが、今度は忽ち打切ったようにピッタリと静まり返った。
 皆はこの時お作が、饂飩《うどん》屋時代に得意にしていた道行踊りを踊ろうとしている事を、アラカタ察しているにはいた。併し真逆《まさか》に問題の黒星になっている源次を
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