の福太郎の眼の前には、稍《やや》暫くの間、おなじ暗黒《くらやみ》の光景が連続していた。しかしその暗黒の中に時々、安全燈《ラムプ》の網目を洩れる金茶色の光りがゆるやかに映《さ》したり、又静かに消え失せたりするところをみると、それは福太郎が斜坑の上り口から三十度の斜面へ歩み出した時の記憶の一片が再現したものに違いなかった。その仄《ほの》かな光線に照し出された岩の角々は皆、福太郎の見慣れたものばかりであったから……。
けれども、やがてその金茶色の光りが全く消え失せて、又、もとの暗黒に変ったと思うと間もなく、その暗黒《くらやみ》のはるかはるか向うに、赤い光りがチラリと見えた。
それは福太郎が、炭車《トロッコ》と落盤の間に挟まれる前にチラリと見た赤い光りの印象が再現したものであった。しかもその時は坑口《こうぐち》に沈む夕日の光りではないかと思っただけに、ホントウは何の光りか解らないまま忘れてしまっていたのであったが、現在眼の前に、その刹那の印象が繰返して現われて来たのを見ると、その光りの正体が判然《わか》り過ぎる位アリアリとわかったのであった。
それは連絡を失った四函の炭車《トロッコ》の車輪が、一台八百|斤宛《きんずつ》の重量と、千五百尺の長距離と、三十度近くの急傾斜に駈り立てられて逆行しつつ、三十|哩《マイル》内外の急速度で軌条を摩擦して来る火花の光りに外ならなかった。しかもその車輪の廻転して来る速度は、依然として福太郎の半分麻痺した脳髄の作用に影響されていて、高速度映画と同様にノロノロした、虫の這うような緩やかな速度に変化していたために、それを凝視している福太郎に対して、何ともいえないモノスゴイ恐怖感と、圧迫感とを与えつつ接近して来るのであった。
その炭車《トロッコ》の左右十六個の車輪の一つ一つには、軌条から湧き出す無数の火花が、赤い蛇のように撚《よ》じれ、波打ちつつ巻付いていた。そうして炭車《トロッコ》の左右に迫っている岩壁の褶《ひだ》を、走馬燈《まわりどうろ》のようにユラユラと照しあらわしつつ、厳そかに廻転して来るのであったが、やがてその火の車の行列が、次から次に福太郎の眼の前の曲線《カーブ》の継ぎ目の上に乗りかかって来ると、第一の炭車《トロッコ》が、波打った軌条に押上げられて、心持《こころもち》速度を緩めつつ半分傾きながら通過した。するとその後から押しかかっ
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