……というのは外《ほか》でもなかった。
 福太郎は元来何につけても頭の働きが遅鈍《のろ》い割に、妙に小手先の器用な性質で、その中でも大工道具イジリが三度の飯よりも好きであった。工業学校へ這入る時でも、最初建築の方を志望していたのを、死んだ両親に云い聞かせられて、不承不承に不得手《ふえて》な採鉱の方に廻ったお蔭で、ヤット炭坑から学資を出してもらう事が出来たのであったが、それでもチョイチョイ小遣を溜めては買い集めた大工道具の一式を今でもチャント納屋の押入に仕舞い込んでいる位で、どんなに疲れている時でも、頼まれさえすれば直ぐに、その箱を担いで出かけるという風であった。だから坑内の仕繰《しくり》の仕事なぞも、本職の源次よりかズット見込みが良い上に、馬鹿念を入れるので、出来上りがガッチリしていて評判がなかなかよかった。現にタッタ今|潜《くぐ》って来た炭坑の大動脈ともいうべき斜坑の入口なぞも、去年の夏頃に源次が一度手を入れたものであったが、間もなくその源次が風邪を引いて寝ているうちに、いつの間にか天井の重圧《おもみ》で鴨居が下って来て、炭車《トロッコ》の縁とスレスレになっていたので、知らないで乗って来た坑夫の頭が二ツも暗闇の中でブッ飛んでしまった。そこで取り敢ず福太郎が頼まれて指導者《サキヤマ》になって手を入れた結果、ヤット炭車《トロッコ》の縁から一尺許りの高さに喰止めたものであったが、その時に、源次が材料を盗んで良《い》い加減な仕事をしてさえいなければ、モウ二尺位上の方へ押上げられるであろう事が、立会っていた役員連中の眼にもハッキリと解ったのであった。
 こうした福太郎の晴れがましい仕事ぶりが、炭坑中に知れ渡らない筈はなかった。……と同時に本職の源次から怨まれない筈はないのであった。
 源次はこうして、ホンの駈出しの青二才に、仕事の上で大きな恥を掻かされた上に、入揚げた女まで取られてしまったのだから、何とかして復讐《しかえし》をしなければ引込みの付かない形になってしまっているのであったが、しかしそこがチャンチャン坊主と云われた源次の特徴であったろうか、それとも源次が皆《みんな》の思っているよりもズット怜悧《りこう》な人間であったせいであろうか。気の早い炭坑連中からイクラ冷笑《ひやか》されても、腰抜け扱いされても、源次は知らん顔をしていたばかりでなく、却《かえ》ってそれから後
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