し》そうに空気を喰って舌なめずりをしている者。今にも溺れ死にそうな声を出してイビキを掻いている者など……だいぶ夜が更けているらしい光景である。
 万平は今一度ハッとして胸をときめかした。寝過したかな……と思ってソッと起上って、出来るだけ静かに階段を降りて、土間を跣足《はだし》で台所に来てみると十一時半である。
 ……間に合った……と思うと万平はホッとした。同時に、どうしていいかわからないままタッタ一人で頭を掻き掻きそこいらを見まわした。
 フト思い付いて帳場の隅に立てかけてある親方用の、銀金具の短かい鳶口《とびぐち》に手をかけたが、又、思い直して旧《もと》の処に置いた。何かいい得物はないか……といった格好でそこいらを見まわしていたが、その中《うち》に右手の握り拳でボンと左の掌《てのひら》を打った。ニヤリと笑いながら、親方とお神さんが床を並べて寝ている茶の間に忍び込んだ。芝居で見覚えている通りの泥棒の腰付で、部屋の隅の衣桁《いこう》に掛けてあるお神さんの派手な下着と、昼夜帯をソーッと盗み出した。その足で抜き足、さし足一番奥の湯殿へ忍び込んで、ピッタリと戸締りをしてから、電燈をひねった。

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