束かと思われる扁平《ひらべっ》たい新聞包みを引き出しますと、中から古ぼけた革のサックを取り出して、黄金色《きんいろ》の止め金をパチンと開きました。見るとその中から、大小二、三十粒の見事な宝石が、キラキラと輝やき出しているではありませんか。
 私は眼が眩《くら》みそうになりました。私の家は貴族の癖として、先祖代々からの宝石好きで、私も先天的に宝石に対する趣味を持っておりましたので、すぐにもう、焼き付くような気もちになって、その宝石を一粒|宛《ずつ》つまみ上げて、青白い夕あかりの中に、ためつすがめつして検《あらた》めたのですが、それは磨き方こそ旧式でしたけれども、一粒残らず間違いのないダイヤ、ルビー、サファイヤ、トパーズなぞの選《よ》り抜きで、ウラル産の第二流品なぞは一粒も交っていないばかりでなく、名高い宝石|蒐集家《しゅうしゅうか》の秘蔵の逸品ばかりを一粒ずつ貰い集めたかと思われるほどの素晴らしいもの揃いだったのです。こんなものが、まだうら若い一兵卒のポケットに隠れていようなぞと、誰が想像し得ましょう。

       三

 私は頭がシインとなるほどの打撃を受けてしまいました。そうして開《あ》いた口がふさがらないまま、リヤトニコフの顔と、宝石の群れとを見比べておりますと、リヤトニコフは、その、いつになく青白い頬を心持ち赤くしながら、何か云い訳でもするような口調で、こんな説明をしてきかせました。
「これは今まで誰にも見せたことのない、僕の両親の形見なんです。過激派の主義から見ればコンナものは、まるで麦の中の泥粒《どろつぶ》と同様なものかも知れませんけれども……ペトログラードでは、ダイヤや真珠が溝泥《どぶどろ》の中に棄ててあるということですけれども……僕にとっては生命《いのち》にも換えられない大切なものなのです。……僕の両親は革命の起る三箇月前……去年の暮のクリスマスの晩に、これを僕に呉《く》れたのですが、その時に、こんな事を云って聞かせられたのです。
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……この露西亜《ロシア》には近いうちに革命が起って、私たちの運命を葬《ほうむ》るようなことに成るかも知れぬ。だからこの家の血統を絶やさない、万一の用心のために、誰でも意外に思うであろうお前にこの宝石を譲ってコッソリとこの家から逐《お》い出して終《しま》うのだ。お前はもしかすると、そんな処置を取る私たちの無慈悲さを怨《うら》むかもしれないけれども、よく考えてみると私たちの前途と、お前の行く末とは、どちらが幸福かわからないのだ。お前は活溌な生れ付きで、気象《きしょう》もしっかりしているから、きっと、あらゆる艱難辛苦《かんなんしんく》に堪えて、身分を隠しおおせるだろうと思う。そうして今一度私たちの時代が帰って来るのを待つことが出来るであろうと思う。
……しかし、もしその時代が、なかなか来そうになかったならば、お前はその宝石の一部を結婚の費用にして、家の血統を絶やさぬようにして、時節を見ているがよい。そうして世の中が旧《もと》にかえったならば、残っている宝石でお前の身分を証明して、この家を再興するがよい……。
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 ……と云うのです。僕はそれから、すぐに貧乏な大学生の姿に変装をして、モスコーへ来て、小さな家を借りて音楽の先生を始めました。僕は死ぬ程音楽が好きだったのですからね。そうして機会《おり》を見て伯林《ベルリン》か巴里《パリー》へ出て、どこかの寄席か劇場の楽手になり了《お》おせる計画だったのですが……しかしその計画はスッカリ失敗に帰して終《しま》ったのです。その頃のモスコーはとても音楽どころか、明けても暮れてもピストルと爆弾の即興交響楽で、楽譜なぞを相手にする人は一人もありませぬ。おまけに僕は間もなく勃興《ぼっこう》した赤軍の強制募集に引っかかって無理やりに鉄砲を担がせられることになったのです。
 ……僕が音楽を思い切ってしまったのはそれからの事でした。何故《なぜ》思い切ったかっていうと、僕の習っていた楽譜はみんなクラシカルな王朝文化式のものばかりで、今の民衆の下等な趣味には全く合いません。そればかりでなく、ウッカリ赤軍の中で、そんなものをやっていると身分が曝《ば》れる虞《おそ》れがありますからね。……ですから一生懸命に隙を見つけて、白軍の方へ逃げ込んで来たのですが、それでもどこに赤軍の間諜《かんちょう》が居るかわかりませんからスッカリ要心をして、口笛や鼻唄にも出しませんでしたが、その苦しさといったらありませんでした。上手なバラライカや胡弓の音《ね》を聞くたんびに耳を押えてウンウン云っていたのですが……そうして一日も早く両親の処へ帰りたい……上等のグランドピアノを思い切って弾いてみたいと、そればかり考え続けていたのですが……。
 ……ところが、ちょうど昨夜のことです。分隊の仲間がいつになくまじめになって、何かヒソヒソと話をし合っているようですから、何事かと思って、耳を引っ立ててみますと、それは僕の両親や同胞《きょうだい》たちが、過激派のために銃殺されたという噂《うわさ》だったのです。……僕はビックリして声を立てるところでした。けれども、ここが肝腎《かんじん》のところだと思いましたから、わざと暗い処に引っ込んで、よくよく様子を聞いてみますと、僕の両親が、何も云わずに、落ち付いて殺された事や、僕を一番|好《す》いていた弟が銃口の前で僕の名を呼んで、救けを求めたことまでわかっていて、どうしても、ほんとうとしか思えないのです。……ですから、僕はもう……何の望みも無くなって……あなたにお話ししようと思っても、生憎《あいにく》勤務に行って……いらっしゃらないし……」
 と云ううちに涙を一パイに溜めてサックの蓋《ふた》を閉じながら、うなだれてしまったのです。
 私は面喰《めんくら》ったが上にも面喰らわされてしまいました。腕を組んだまま突立って、リヤトニコフの帽子の眉庇《まびさし》を凝視しているうちに、膝頭《ひざがしら》がブルブルとふるえ出すくらい、驚き惑《まど》っておりました。……私はリヤトニコフが貴族の出であることを前からチャンと察しているにはいましたが、まさかに、それ程の身分であろうとは夢にも想像していないのでした。
 実を云うと私は、その前日の勤務中に司令部で、同じような噂をチラリと聞いておりました。……ニコラス廃帝が、その皇后や、皇太子や、内親王たちと一緒に過激派軍の手で銃殺された……ロマノフ王家の血統はとうとう、こうして凄惨な終結を告げた……という報道があったことを逸早《いちはや》く耳にしているにはいたのですが、その時は、よもやソンナ事があろう筈はないと確信していました。いくら過激派でも、あの何も知らない、無力な、温順なツアールとその家族に対して、そんな非常識な事を仕掛ける筈はあり得ない……と心の中《うち》で冷笑していたのです。又、白軍の司令部でも、私と同意見だったと見えて、「今一度真偽をたしかめてから発表する。決して動揺してはならぬ」という通牒を各部隊に出すように手筈をしていたのですが……。
 とはいえ……仮りにそれが虚報であったとしても、今のリヤトニコフの身の上話と、その噂とを結びつけて考えると、私は実に、重大この上もない事実に直面していることがわかるのです。そんな重大な因縁を持った、素晴らしい宝石の所有者である青年と、こうして向い合って立っている――ということは真に身の毛も竦立《よだ》つ危険千万な運命と、自分自身の運命とを結びつけようとしている事になるのです。
 ……但し、……ここに唯一つ疑わしい事実がありました。……というのは他でもありませぬ。ニコラス廃帝が、内親王は何人《いくたり》も持っておられたにも拘《かか》わらず、皇子《おうじ》としては今年やっと十五歳になられた皇太子アレキセイ殿下以外に一人も持っておられなかったことです。……ですからもし今日《こんにち》只今、私の眼の前に立っている青年が、真に廃帝の皇子で、過激派の銃口を免れたロマノフ王家の最後の一人であるとすれば、オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシヤと四人の内親王殿下の中で、一番お若いアナスタシヤ殿下の兄君か弟君か……いずれにしても、そこいらに最も近い年頃に相当する訳なのですが……そうして、これがもしずっと以前の露西亜《ロシア》か、又は外国の皇室ならば、すぐに、そんな秘密の皇子様が、人知れず民間に残っておられることを首肯されるのですが、……しかし最近の吾がロマノフ王家の宮廷内では、斯様《かよう》な秘密の存在が絶対に許されない事情があったのです。……すなわち、もしニコラス廃帝に、こんな皇子があったとすれば、仮令《たとえ》、どんなに困難な事情がありましょうとも、当然皇子として披露さるべき筈であることがその当時の国情から考えても、わかり切っているのでした。その国情というのはあらかた御存じでもありましょうし、この話の筋に必要でもありませんから略しますが、要するに、その当時のスラヴ民族は、上も下も一斉に、皇儲《こうちょ》の御誕生を渇望しておりましたので、甚しきに到っては、ビクトリア女皇の皇女《おうじょ》である皇后陛下の周囲に、独逸《ドイツ》の賄賂《まいない》を受けている者が居る。……皇子がお生れになる都度に圧殺している者が居る……というような馬鹿げた流言まで行われていたことを、私は祖父から聞いて記憶していたのです。
 ……ですから……こうした理由から推して、考えてみますと、現在私の眼の前に宝石のケースを持ったままうなだれて、白いハンケチを顔に当てている青年は、必ずや廃帝に最も親《ちか》しい、何々大公の中の、或る一人の血を引いた人物に違いない……それは、斯様な「身分を証明するほどの宝石」の存在によっても容易に証明されるので、ことによるとこの青年は、その父の大公一家が、廃帝と同じ運命の途連《みちづ》れにされたことを推測しているか……もしくは、その大公の家族の虐殺が、廃帝の弑逆《しいぎゃく》と誤り伝えられている事を、直覚しているのかも知れない……。しかも万一そうとすれば、そうした容易ならぬ身分の人から、かような秘密を打ち明けられるという事は、スラヴの貴族としてこの上もない光栄であり、且つ面目《めんぼく》にもなることであるが、同時に、他の一面から考えるとこれは又、予測することの出来ない恐しい、危険千万な運命に、自分の運命が接近しかけていることになる……。
 ……と……こう考えて来ました私は、吾れ知らずホーッと大きな溜息をつきました。そうして腕を組み直しながら、今一度よく考え直してみましたが、そのうちに私は又、とても訝《おか》しい……噴飯《ふきだ》したいくらい変テコな事実に気が付いたのです。
 ……というのは、この眼の前の青年……本名は何というのか、まだわかりませんが……リヤトニコフと名乗る青年が、この際ナゼこんなものを私に見せて、これ程の重大な秘密を打ち明ける気になったかという理由がサッパリわからない事です。もしかしたらこの青年は、私が貴族の出身であることをアラカタ察していて……且つは親友として信頼し切っている余りに、胸に余った秘密の歎きと、苦しみとを訴えて、慰めてもらいに来たのではあるまいかとも考えてみましたが……。それにしては余りに大胆で、軽率[#「軽率」は底本では「軽卒」]で、それほどの運命を背負って立っている、頭のいい青年の所業《しわざ》とはどうしても思われませぬ。
 それならばこの青年は一種の誇大妄想狂みたような変態的性格の所有者ではないか知らん。たった今見せられた夥《おびただ》しい宝石も、私の眼を欺くに足るほどの、巧妙を極めた贋造物《にせもの》ではなかったかしらん。……なぞとも考えてみましたが、いくら考え直しても、今の宝石はそんな贋造物《にせもの》ではない。正真正銘の逸品揃いに違いないという確信が、いよいよ益々高まって来るばかりです。
 ……しかし又、そうかといってこの青年に、
「何故《なぜ》その宝石を僕に見せたんですか」
 なぞと質問をするのは、私に接近しかけて
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