か、私は全く記憶しません。そうして胸を抉られた下士官の死骸を見つめている時には、自分の胸の処を、釦《ボタン》が千切れる程強く引っ掴んでいたようです。咽喉《のど》を切り開かれている将校を見た時には、血の出るのも気付かずに、自分の咽喉仏の上を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》っていたようです。下※[#「月+咢」、第3水準1−90−51]《したあご》を引き放されて笑っているような血みどろの顔を見あげた時には、思わず、ハッハッと喘《あえ》ぐように笑いかけたように思います。
 ……現在の私が、もし人々の云う通りに精神病患者であるとすれば、その時から異常を呈したものに違いありません。
 すると、そのうちに、こうして藻掻《もが》いている私のすぐ背後で、誰だかわかりませんが微《かす》かに、歎《た》め息《いき》をしたような気はいが感ぜられました。それが果して生きた人間のため息だったかどうかわかりませんが、私は、何がなしにハッとして飛び上るように背後《うしろ》をふり向きますと、そこの一際《ひときわ》大きな樹の幹に、リヤトニコフの屍体が引っかかって、赤茶気《あかちゃけ》た枯れ葉の焔《
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