殺して、芸術の全アパートを占有し、奔放自在に荒れまわるであろうところの最も新しい芸術の萌芽でなければならぬ。あらゆる虚栄と虚飾に傲《おご》る功利道徳と科学文化の荘儼……燦爛として眼を眩《くら》ます科学文化の外観を掻き破って、そのドン底に萎縮し藻掻《もが》いている小さな虫のような人間性……在るか無いかわからない超顕微鏡的な良心を絶大の恐怖、戦慄にまで曝露して行くその痛快味、深刻味、凄惨味を心ゆくまで玩味させるところの最も大衆的な読物でなければならぬ。
 この故に探偵小説は人類の思想傾向が、囚われる唯心文化から囚われざる唯物文化に進化し、更に又、囚われたる唯物文化から、囚われざる唯心文化へ反転して行く過渡時代の痛々しい内省心理の産物でなければならぬ。だからこの意味から見て、私が述べた「人類の趣味の低下」は、取りも直さずその向上の前提となって来なければならぬ事になるのである。
 ぷろふいるの支持者諸君。愛読者諸君よ。疑懼《ぎく》し、躊躇するところは絶対にない。本格、変格の名にこだわって、前後を見まわす必要は断じてない。
 すべては探偵小説である。本格、変格の名は単なる説明上の便宜のために附けられたものに過ぎない。すべてを忘れて、この最新、最大の芸術のために精進し、自省し、発表されたい。全人類の芸術を革命されたい。
 現代の探偵小説は、まだそこまで突込み得ていないようである。吾々の態度が又、そこまで自省し、徹底していないために、探偵小説の本来の使命を見失い、どうしていいかわからないまま、お互に議論し、足を踏み合い、鉢合わせ合い、間誤間誤《まごまご》しているに過ぎないようである。近頃叫ばれている「探偵小説の行詰まり」もしくは「不振」は、そうしたイデオロギーの不徹底、もしくは全人類の自己反省の不足から来ている事を私は信じて疑わないものである。
 但《ただし》、文芸通信誌上で私は「探偵小説が文芸であるかどうかは責任を負う限りでない」と明言しているが、これは謹んでこの項の中から撤回する。
 探偵小説は、小説と名乗る以上どこまでも文芸でなければならぬ。とはいえ在来の文芸上の約束に拘泥する必要は一つもない。
 その点に於て探偵小説は、その出発点から絶対の自由を確保していると思う。



底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
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