智恵子さんには……
  いずれまた……
 徳市がヒョッコリ応接間から出て来た。笑いながら時子に何か云おうとして万平の様子に眼を付けた。サッと顔色をかえた。
  アッ……
  どこに行くんです……
  僕を残して……
 万平はイヤな顔になったが間もなくニッコリした。
  ナニ……チョッと急ぐからね……
  お前はゆっくりしたがいい……
  あとから事情を話すから……
 徳市は時子と万平の顔を見比べた。
 時子は智恵子に事情を話した。
 智恵子は万平と徳市に感謝の頭《かしら》を下げた。徳市の手を取って固く握り締めた。
 徳市はブルブルと身を顫《ふる》わした。
 万平は徳市に凄い眼付きをチラリと見せながら帽子を脱いで、一同に一礼すると悠々と入口の扉に手をかけた。
  では……
 徳市は呆然と見送っていたが忽ち恐ろしい顔になった。万平に飛び付いて鞄を引ったくった。書斎へかけ込んで手提金庫の中から札の束を掴み出し、鞄の中の株券と入れかえると無言のまま万平の前に突き出した。扉の外を指《ゆびさ》した。
 万平は凄い顔をしながら鞄を受け取った。
  何をするのだ……
  気でも違ったか……
 徳市は恐ろしい形相になった。頭の毛を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》りながら床の上に坐り込んだ。
  もう何もかも白状します……
  こいつは叔父でも何でもありません……
  贋《に》せ金使いです……
  僕を手先に使って……
  ああ許して下さい……
 万平は眼を伏せて冷やかに笑った。智恵子の顔を見ながら一礼した。
  どうも失礼ばかり……
  では取引は又その中《うち》に……
  今日はこれで……
 智恵子と母は恐れ戦《おのの》きつつ礼を返した。
 万平の憲作は悠然と外に出た。
 徳市は飛び上ってあとを閉めた。
 憲作は表に出るとあたりを見まわした。怪しい人影をそこここに認めた。急いで家《うち》の中へ引返そうとした。扉は固く締まって開《あ》かなかった。
 数名の警官が憲作を取り巻いた。
 憲作は短銃《ピストル》を揚げて睨みまわした。
 警官の一人が同様に拳銃を揚げた。
 徳市は扉を急に開いた。
 憲作はうしろによろめいた。短銃《ピストル》は空《くう》を撃った。警官の弾丸《たま》に撃たれて入口へ倒れ込んだ。
 徳市はうしろから憲作を抱き止めた。
 警官が駈け寄って徳市に礼を云った。大勢で憲作を担いで行った。
 徳市はあとを見送って両手で悲痛な表情を蔽うた。何事か決心をしたようにうなずくと両手を離して智恵子を悲し気な眼付きで見た。両手で智恵子の手を固く握って、涙をハラハラと流した。
  智恵子さん……
  僕を……
  諦めて下さい……
 徳市は両手をハッと放すと表に飛び出した。
 智恵子はあとから縋り付いた。
 徳市はふり放して警官のあとを追おうとした。
 智恵子はあとから出て来た時子と二人でやっと徳市を押え止《と》めた。
 三人は涙を流して手を握り合った。
 智恵子ははるか[#「はるか」に傍点]に運ばれて行く憲作の死骸を指《ゆびさ》した。
  あなたの秘密は……
  あそこに消えて行きます……
  あなたは浄《きよ》い方です……
 徳市は智恵子を抱き締めた。



底本:「夢野久作全集3」筑摩書房
   1992(平成4)年8月24日第1刷発行
初出:「黒白」
   1925(大正14)年5月号〜9月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
※この作品は初出時に、署名「杉山萠圓」で発表されたことが、解題に記載されています。
2005年9月10日作成
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