見まわし足音を忍ばして茶の間に忍び込んだ。箪笥《たんす》の抽出しを開いてお神さんの着物を盗み出した。それから湯殿《ゆどの》へ行って電気をひねった。
三平は鏡をのぞきながらそこにあるお白粉《しろい》を真白に塗り付けた。黛《まゆずみ》で眉と生え際を塗った。お神さんの着物を着て帯を締めた。次にスキ毛を頭に載せて手拭いを冠った。女中の下駄を穿《は》いて裏口へ出てあとをピッタリと締めた。
三平は風呂場の裏にまわって積んである煉瓦《れんが》を一ツ取り上げた。そこに干してある越中褌《えっちゅうふんどし》で包んで紐《ひも》でグルグル巻きにして袖の間に抱え込んだ。材木の間を通って最前の男と女が話していた処へ来てシャガンだ。ギョロリギョロリと見まわした。
最前の質屋の娘が来かかったが三平の姿をすかして見ると急に物蔭に隠れた。
―― 6 ――
質屋の娘が隠れたのと反対の方から鳥打にインバネスを着た男が近付いて来た。暗《やみ》をすかして三平を見ると近寄った。
三平はシナを作って近寄った。
のぞいていた娘はハンケチをビリビリと喰い裂いた。
男はあたりを見まわした。右手でソッと短刀を抜きながら左手を三平の肩にかけて顔をのぞき込んだ。
お金は……
三平は左手で煉瓦の包みをさし出した。
男は受け取りかけてビックリして手を引いた。
三平は平手で男の横っ面《つら》を打った。
男は飛び退《の》いて短刀をふり上げた。
三平は煉瓦で、男は短刀で立廻りを初めた。
娘は仰天して駈け出した。
三平は煉瓦を投げると男の胸に当った。
男は引っくり返った。
三平は馬乗りになった。短刀を奪って投げ棄てた。
男は下からはね返した。
上になり下になり揉《も》み合ったあげく三平は組み伏せられて咽喉《のど》を絞め上げられた。
ヒ……人殺し……
男は短刀を拾おうとした。
三平は拾わせまいとした。声を限りに叫んだ。
泥棒……人殺しッ……
男は三平を突き放して逃げようとした。
三平は帯を引っぱって武者振り付いた。
材木屋の若い者が大勢飛び出して来て二人を取り巻いた。
三平は叫んだ。
おれあ三平だ……
こいつが泥棒だ……
若い者が二三人男に飛び付いた。散々になぐり付けた。
警官が質屋の娘と一所《いっしょ》に駈け付けた。
警官は三平の顔に懐中電燈をつき付けた。
何だ……最前の気狂いじゃないか……
三平は腕まくりをした。奮然と詰め寄った。
何が気違いだ……憚《はばか》んながら……
親方が三平を遮って警官にお辞儀をした。
若い者が警官に男を引き渡した。
警官は男に手錠をかけて短刀と煉瓦を拾った。親方と娘と三平を連れて警察に帰った。
―― 7 ――
警察に駈け込んで来た質屋の親仁《おやじ》の禿頭は娘の顔を見ると泣いて喜んだ。手錠をかけられた男を見ると掴みかかろうとした。
親方は遮り止めて事情を話した。
禿頭は三平を伏し拝んだ。娘を三平の前に連れて来て礼を云わせた。
娘はチョッと色眼を使って三平の前に三ツ指を突いた。
三平は変梃《へんてこ》な身ぶりで礼を返した。
親方と警官は腮《あご》を撫でた。
手錠をかけられた男は恐ろしく面《かお》を膨《ふく》らした。
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光明か暗黒か
―― 1 ――
眼科の開業医丸山養策は数年前妻を喪《うしな》ってから独身で暮して、一人娘の音絵《おとえ》にあらゆる愛を注いだ。
音絵は当年十九歳で女学校を優等の成績で卒業し、女一通りの事は何くれとなくたしなんでいたが、わけても箏曲《そうきょく》を死ぬ程好いていた。
音絵の琴の師匠は歌寿《うたず》と呼ぶ瞽女《めくら》の独り者であった。歌寿は彼女の天才をこの上もなく愛して、「歌寿」と彫った秘蔵の爪を譲り与えて丹精《たんせい》を籠《こ》めて仕込んだが、いよいよ秘伝を授けるという段になって歌寿は重い喘息《ぜんそく》に罹《かか》った。
音絵は親身《しんみ》になって心配した。毎日家事のすきまを見ては程近い歌寿の家を訪ねて介抱してやった。ところが不思議な事には音絵が親切にしてやればやるほど、歌寿は悲しそうな淋しげな表情になるのであった。時折りは涙さえ流した。
音絵は不審に思い思いした。
―― 2 ――
音絵は相弟子でよく歌寿に尺八を合わせてもらいに来る赤島哲也という青年が居た。富豪赤島鉄平の長男で大学生であったが不成績で落第ばかりしていた。その代り尺八はかなり吹ける方で自分では非常な天才のつもりでいた。
哲也は師匠歌寿が秘蔵の名器「玉山《ぎょくざん》」を是非譲ってくれと頼んだが歌寿は亡夫の形見だからと断った。
無理に譲り受けると、大自慢で他人《ひと》に見せびらかした。
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