はしかしもう居なかった。
戸塚警部はすぐにそこの警察に駈け付けて助力を乞い、二手に別れて雪の国道に自動車を馳せた。
戸塚警部の自動車は山道にかかった。
はるかの岨道《ほそみち》を乞食|体《てい》の盲目《めくら》の男と手引《てびき》女が行くのが見えた。自動車は追い迫った。
乞食夫婦が道の傍《かたわら》に避けると自動車はピタリと止った。中から戸塚警部が現われて乞食男の青い眼鏡を奪った。
二人は睨み合った。
女のうしろから近寄った一人の刑事が、女を不意に雪の中に引きずりたおした。
男は唇を噛んだ。突然懐中から拳銃《ピストル》を出して一発の下に女を射ちたおした。自分も自殺しようとした。
戸塚警部はその拳銃《ピストル》をたたき落して組み付いた。
男は警部を投げ付けておいて崖の上から身を躍らした。
戸塚警部が崖の下に駈け付けた時にはもう人影はなかった。しかし草の葉に数滴の血のしたたりと、雪の上を林の奥へ続いた足跡が残っていた。
戸塚警部はあとを逐《お》うた。
―― 18[#「18」は縦中横] ――
その夜頭に繃帯をした武丸は歌寿の家の前に立って「鶴の巣籠《すごも》り」を吹いた。
歌寿は病の床から起き上って戸を開いた。
武丸は転がるように中に這入ってあとを閉し「お母さん」と縋《すが》り付いた。
歌寿は泣き且つ怒った。「勘当をされても手癖がなおらぬ上に大恩ある家のお嬢様を盗むは何事だ」と責めた。
「どうしてそれを御存じ!」と武丸は驚いた。
「知らいでなるものか。お嬢様をかえせ」と歌寿は責めた。
武丸はひれ伏して泣きに泣いた。
そこへ大勢の警官が踏み込んだ。
武丸は巧みに逃れた。
歌寿は失神したまま息を引き取った。
―― 19[#「19」は縦中横] ――
糸川家に音絵の屍体が到着した。
養策はその屍体を見ると泣き倒おれて、奥の一室に連れ込まれた。人々は慰めかねた。
僧侶が来て読経したあと悲しい通夜が行われた。哲也も音絵の相弟子として列席した。
夜更けて幌《ほろ》を深く下《たら》した人力車が玄関に着いた。中から羽織袴の竹林武丸が威儀正しく現われて、案内なしに座敷に通り一同に会釈《えしゃく》して霊前に近付き、礼拝を遂げて香を焚き、懐中から名器「玉山」を取り出して「罌子《けし》の花」を吹奏し初めた。
通夜の人々は初
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