中歯《ちゅうば》の下駄を穿《は》いていたが、霖雨《ながあめ》でぬかるむ青草まじりの畦道《あぜみち》を、綱渡りをするように、ユラユラと踊りながら急いで行くと、オールバックの下から見える、白い首すじと手足とが、逆光線を反射しながら、しなやかに伸びたり縮んだりする。その都度に、華やかな洋傘《パラソル》の尖端《さき》が、大きい、小さい円《まる》や弧を、空《くう》に描いて行くのであった。
 そこいらの田に蠢《うご》めいていた田植笠が、一つ二つ持ち上って、不思議そうにその女の姿に見惚《みと》れはじめた。……と見るうちに、左手の地蔵松原の向うから、多々羅《たたら》川の鉄橋を渡って、右手の筥崎駅へ、一直線に驀進して来る下り列車の音が、轟々《ごうごう》と近づいて来る気はいである。それにつれて女の足取りも、心持ち小刻みに急ぎ始めたように見えた……。
 ……私は今一度ハッと胸を躍らした。思わず、
「……止めろッ……轢死《れきし》だッ……」
 と叫びかけたが、その次の瞬間に私は又、グッと唾《つば》[#「唾《つば》を」は底本では「睡《つば》を」]嚥《の》み込んだ。……これは新聞|記事《だね》になるな……と思った次の瞬間にはもう正門前の道路を、女の行く畦道と直角の方向に引返していた。
 そうしてその取付《とっつ》きの百姓家の蔭から、田に添うた桑畑の若い葉の間を、女と並行した方向に曲り込むと、急に身を伏せて、獲物を狙う獣《けもの》のように、線路の方へ走り出したが、桑畑と線路との境目に在る、狭い小川を飛び越えた時には、スッカリ汗まみれになって、動悸が高まって、眼が眩《くら》みそうになっていた。
 女はもうその時に田の畦を渡りつくして、半町ばかり向うの線路に出ていたが、軌条《レール》の横の狭い砂まじりの赤土道を、汽車の来る方向に、さり気なく、気取った風付《ふうつ》きで歩いて行くようすである。
 勢込んで来た私は、そうした女の態度を見ると、ちょっと躊躇して立ち止まった。覚悟の轢死じゃないのかしら……と思って……。
 ……と思う間もなく、真正面《まっしょうめん》に横たわる松原の緑の波の中から、真黒な汽鑵車が、狂気のように白い汽笛を吹き立てつつ、全速力で飛び出して来た。機関手が女の姿を発見したに違いないのだ。
 それと見た女は洋傘《パラソル》を、線路の傍の草の上に、拡げたままソッと置いた。下駄を脱ぎ揃えて
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