やったらキット成功する……というので翁を掴まえ、禅学を説き立てた。翁は黙ってウンウンとうなずきながら聞いていたが、とうとうこの愉快な代議士君に引っぱり出されて鎌倉の円覚寺に釈宗演和尚《しゃくそうえんおしょう》を訪う事になった。
釈宗演和尚は人も知る禅風練達の英僧、且つ雄弁家で的野代議士の崇拝の的であった。さるほどに宗演老師は天下の豪傑頭山翁の来訪を喜んで、禅学に就いて弁ずる事|良久《ややしばし》。徐《おもむ》ろに翁に問うて曰《いわ》く、
「あんたは前にも禅学を志された事がありますかな」
翁曰く、
「ウム。在る。しかし素人じゃ」
「ハハア。誰に就いて御修業なされましたかな」
翁|傍《そば》に小さくなっている背広服の的野代議士をかえりみて、
「ナニ。コイツに習うただけじゃ」
釈宗演和尚唖然。
ツイこの間新聞を賑わした法政大学の騒動の時、教授の一人である山崎|楽堂《がくどう》氏が喜多文子《きたふみこ》五段の紹介か何かで単身、頭山翁を渋谷の自宅に訪問した。山崎楽堂氏は現代能評界に於ける一方の大御所で、単純率直、達弁の士である。
湯から上って来た頭山翁は、翁の居間にチョコンと坐っている楽堂君を見ると突立ったまま云った。
「君一人か」
「ハイ」
と答えつつ楽堂君は簡単に一礼した。翁はこの時既に法政騒動の成行《なりゆき》と、楽堂氏の性格に関する概念を掴んでいたらしい事を、この簡単な問答の中から推測し得べき理由がある。
それから楽堂君が持って生まれた快弁熱語を以て滔々《とうとう》と法政騒動の真相を披瀝《ひれき》すると、黙々として聞いていた翁は、やがて膝の前に拡げられた法政騒動渦中の諸教授の連名に眼を落した。
「ウーム。あんまり複雑で、ワシにはよくわからんがのう。この教授の中で正しい事を主張しよる奴の頭の上に丸を附けてくれんか」
楽堂君ちょっと呆れたが命令通りに自分の味方の諸教授連の頭の上に丸を附けて見せると翁はニコニコと笑顔を見せた。
「フーム。正しい奴の方が、不正な奴よりもズット多いじゃないか」
「ハイ」
翁はマジマジと楽堂君の顔を見た。
「フフ。意気地《いくじ》がないのう。人数《にんず》の多い方が負けよるのか」
楽堂君は返事に窮した。こう端的に子供アシライにされようとは思わなかったので、眼をパチパチさせていると翁は一層ニコニコし出した。
「ウムウム。まあええから、そげな騒動しよる連中を皆一緒にここへ連れて来なさい。わしが聞き役になってやるけに、両方で議論してみなさい。わしが正しい方に加勢してやる」
山崎楽堂氏は大喜びで帰ってこの旨を全教授に通告した。しかし折角の翁の心入れも、楽堂氏と反対側の諸教授の不出席によってオジャンとなったという。法政騒動裏面史の一席……。
どうしてコンナ巨大な平凡児が日本に出現したかという……つまり頭山満の立志伝を書けと云われると筆者も少々困る。頭山満翁には、元来立志伝なるものがない。古往今来、あらゆる英雄豪傑は皆、豪《えら》い者になろうと志を立ててから、その志に向って勇往|邁進《まいしん》したに相違ない。つまるところ志を立てなければ豪《えら》い者になれない訳であるが、頭山翁の生涯を見ると、その志なるものを立てた形跡がない。従ってその立志伝なるものの書きようがないから困るのだ。
勿論、頭山翁は若い時代に、維新後の日本が、西洋文化に心酔した結果、日に月に唯物的に腐敗堕落して行く状況を見て、これではいけないぐらいの事は考えたかも知れないが、それを救うためには自分が先《ま》ず大人物にならなければとか、実社会に有力な人物にならなければとか、又は大衆の人気を集めなければとか、人格者として尊敬されなければ……とかいったようなセセコマしい志を立てた形跡はミジンもない。持って生れた平々凡々式で、万事ありのまんまの手掴みで片付けて来ている。そこが頭山翁の古来ありふれた人傑と違っている点で、その平々凡々式の行き方が又、筆者をして頭山翁を好きにならしめた第一の条件になっているらしいのだ。
事実、頭山翁を平凡人なりと断定されて腹を立てる取巻きの非凡人諸君の中には、頭山翁が超特級の非凡人でなければ差支える連中が多いようである。頭山翁の爪の垢を煎《せん》じて第一に服《の》ませてやりたい人間は、頭山翁を取巻くそんな非凡人諸君に外ならないのだ。
維新後、天下の大勢を牛耳って、新政府の政治と、新興日本の利権とを併せて壟断《ろうだん》しようと試みた者は、所謂、薩長土肥の藩閥諸公であった。その藩閥政治の弊害を打破るべく今の議会政治が提唱され初めたものであるが、そもそもその薩長土肥の諸藩士が、王政維新、倒幕の時運に参劃《さんかく》し、天下の形勢を定めた中に、九州の大藩筑前の黒田藩ばかりが何故に除外されて来たのか。筑前藩
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