話してみい」
 法螺丸「心得たり」
 というので、昨日《きのう》聞いたばかりのホヤホヤのサンジカリズムの話を、その雑誌丸出しの内容に輪をかけたケレンやヨタ交りに、面白おかしく講釈すること約二時間、流石《さすが》の後藤新平氏も言句も出ずに傾聴すると「シンペイ」するなとも何とも云わずに、大急ぎで帰って行った。アトに昨日雑誌を読んで聞かせた書生さんが手に汗を握ったままオロオロしているのに気が付いた法螺丸、ハッとするにはしたらしいが、何喰わぬ顔で、
「面白いだろう。後藤新平というのは存外正直もんじゃよ」

 そもそも杉山法螺丸が、どこからこれ程の神通力を得て来たか。生馬《いきうま》の眼を抜き、生猿《いきざる》の皮を剥《は》ぎ、生きたライオンの歯を抜く底《てい》の神変不可思議の術を如何なる修養によって会得して来たか。
 請う先ず彼の青年に説くところを聞け。
「竹片《たけぎれ》で水をタタクと泡が出る。その泡が水の表面をフワリフワリと回転して、無常の風に会って又もとの水と空気にフッと立ち帰るまでのお慰みが所謂人生という奴だ。それ以上に深く考える奴がすなわち精神病者か、白痴で、そこまで考え付かない奴が所謂オッチョコチョイの蛆虫《うじむし》野郎だ。この修養が出来れば地蔵様でも閻魔《えんま》大王でも手玉に取れるんだ。人生はそう深く考えるもんじゃない。あんまり深く考えると、人生の行き止まりは三原山と華厳の滝以外になくなるんだ。三十歳まで大学に通ってベースボールをやる必要なんか無論ないよ」
「其日庵という俺の雅号の由来を知っているかい。これは俺の処世の秘訣なんだから、少々惜しいが説明して聞かせる。論語の中で会参は日に三度《みたび》己《おのれ》をかえりみると云った。基督《キリスト》は一日の苦労は一日にて足れりと云ったが、俺は耶蘇《やそ》教ではないが其日暮《そのひぐら》しが一番性に合っているようだね。……まず……朝起きると匆々から飯を喰う隙もないくらいジャンジャン訪問客が遣って来る。一番多いのが就職口と高利貸で、親の脛《すね》を噛じって野球をやったり、女給の尻を嗅ぎまわったり、豆腐屋の喇叭《ラッパ》みたいな歌を唄ったりした功労によって卒業免状という奴を一枚貰うと、そいつをオデコの中央に貼り付けて就職の権利でも授かった気で諸官庁会社を押しまわる。親爺《おやじ》も亦《また》親爺で、伜《せがれ》を育
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