な……といった感じが、そんな取調《とりしらべ》の最中にピンと頭へ来たがね。
 しかし何しろ九百何円の金がなくなっている以上、殺人強盗という見込みなんだから事が重大だ。しかも、よっぽど前から金兵衛の日常の癖や何かを研究して知っている人間で、相当の腕力と元気のある奴だ。殊に日が暮れているとはいえ人家や、電車道に近い薄明るい処で、これだけの思い切った仕事を遣《や》っ付《つ》けている以上、生やさしい度胸ではない。事によると前科者かも知れない……という理窟から遠い親戚や無尽講の関係者、又は九段下界隈の前科者や無頼漢《ごろつき》なぞを出来るだけ念入りに洗ってみたが、これとても疑わしい奴は一人も居ない。その中でも、二十五日の晩に、湯島天神の境内に集まっていた無尽講の世話人連中は、肝腎の帳面と金を持っている金兵衛が来ないので、その晩の九時頃になって、飯田町の金兵衛の家《うち》に電話をかけた。すると女房の声で、もう着く頃だという返事だったので、夜中過ぎる頃迄酒を飲みながら待っていたが、それでも来ない。そこでモウ一度電話をかけてみたが、今度は誰も起きて来ないらしいので、殺されているとは夢にも知らずに、明日《あした》、金兵衛の処に押しかけて行く事にきめて皆ブツブツ云い云い帰って寝た。大方金兵衛は九百円の金を、ほかの事に廻わしたので、金策に奔走したままどこかへ引っかかっているんじゃないかと云う者も居たが、イヤ、金兵衛さんはお金の事ばかりはトテモ几帳面だから帳面を預けたんだ。そんな事をする気づかいは絶対にない。どうもおかしい……と云う者も居た。すると又……イヤ、金兵衛はこの頃、築地のどことかに妾《めかけ》を置いているという話だから何とも知れない、なぞ云う者が出て来てワイワイ云い合いながら別れた……という腹蔵のない連中の話なんだ。
 ここで金兵衛の妾の話が出たので、直ぐに飛び付くように金兵衛の素行調べに移った訳だが、その妾というのは検番を調べてまわると直ぐに判然《わか》った。芳町《よしちょう》の芸妓《げいしゃ》で取って二十五になる愛吉というのが……本名はたしか友口愛子といったっけが、去年……明治四十年の暮に金兵衛から引かされて、築地三丁目の横町で、耳の遠い養母《おふくろ》と一緒に小さな煙草屋を遣っている。二階が押入、床の間附の六畳で、下が店の三畳に、便所に台所という猫の額みたいな造作《ぞうさく
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