ってジイッとしていたの。随分苦しかったわ……でも叔父は用心深いんですからね。雨戸を閉めちゃったら、もうトテモ這入《はい》れないのよ。そのうちに、やっとの思いで夜が更《ふ》けて来て、お台所の時計が十二時を打つのをチャンと数えてから、ソーッと押入を出て行って、叔父の蒲団《ふとん》の下に隠して在った白鞘《しらさや》の刀を、中味だけソーッと引き抜いてしまったの……叔父はいつもそうして寝ていたんですからね。そうして素《す》ッ裸体《ぱだか》のままお酒を飲んで寝ている憎らしい叔父の顔をメチャメチャに斬ってやったの……お母さんの讐敵《かたき》……って云ってね。
 ……それあ怖かったわ。血みどろになった素《す》ッ裸体《ぱだか》の叔父が、死物狂いになって掴みかかって来るんですもの。それをあっちに逃げたり、こっちに外《そら》したりしながらヤットの思いで斬り倒してやったわ。
 それから大勢の雇人《やといにん》が出て来て、妾の事をキチガイだキチガイだって、ワイワイ騒ぎ出したの。妾口惜しかったから思い切って暴れてやったわ。大きな男が色んな物を持って向って来るのを、何人も何人も斬ったり突いたりしてやったけど、大勢にはどうしても敵《かな》わなかったの……だって撃剣の上手なお巡査《まわり》さんなんか呼んで来て加勢させるんですもの。妾、お床の間の前に追い詰められながら、一生懸命に刀を振りまわして闘ってみたけど、トウトウ刀をタタキ落されちゃったの。おまけに叔父さんの死骸《しがい》に引っかかってドタンと尻餅を突いたお蔭で逃げ損って、そのお巡査《まわり》さんに押え付けられてしまったのよ。デモ面白かったわ。ホホホホホホ……。
 それから自動車でこの病院に連れて来られると、ここの院長さんが思いがけない親切な方で、トテモトテモ頭のいい方だったのよ。お美味《いし》い冷水《おひや》を何杯も何杯も御馳走《ごちそう》して下すった上に、妾の話をスッカリ聞いて下すって、色んな事を云って聞かせて下すったのよ。……モウ暫くの間キチガイになった振りをして、この病院に這入っていた方がいいってネ……そう仰言《おっしゃ》るの……お前の叔父さんはまだ生きていて、青ネクタイ氏と裁判所で争うって云っているのだから、その叔父さんの罪状が決定して、監獄に入られるようになったら、その時に病院から出してやる。青ネクタイ氏とも結婚させてやる。それまで辛抱して待っていないと、叔父さんが又ドンナ悪企みをして、お前の生命《いのち》を取りに来るか解らない。しかしこの鉄筋コンクリートの室《へや》に隠れていれば、誰も近づく事は出来ないからってネ……そう云って下すったから、妾スッカリ安心して、ここに隠れているのよ。そのうちに青ネクタイ氏が、キット会いに来て下さると思ってネ……楽しみにして待っていたのよ……。
 そうしたら可笑《おか》しいの……まあ聞いて頂戴《ちょうだい》……この頃ヤット気が付いたの……。
 ここの院長さんこそ名探偵の青ネクタイ氏なのよ。……ホラ御覧なさい。誰だってビックリするにきまっているわ。妾だってオンナジ事よ。あんなに頭が禿《はげ》ていらっしゃるのでチットも気が付かなかったのよ。
 でもこの頃、窓の前をお通りになるたんびに青いネクタイを締めていらっしゃるでしょう。新しい……派手なダンダラ縞《じま》の……ネ。ですからもしやそうじゃないかと思って気を付けていたらヤットわかったのよ。
 妾、感謝しちゃったわ。あんなにまで苦心して、妾を保護して下さるんですもの……。
 何故ってあの禿頭《はげあたま》は変装なのよ。仮髪《かつら》なのよ。オホホホホホ。可笑しいでしょう。妾はチャンと知っているけど知らん顔をしているの。でも時々可笑しくて仕様がなくなるのよ。
 あんな禿頭の人と結婚するのかと思ってね。ホホホホホホ。ハハハハハハ……。
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   崑崙茶《こんろんちゃ》


 婦長さん……看護婦長さん。チョットお願いがあるんです。ちょっと来て下さい。大至急のお願いが……。
 あのね……耳を貸して下さい。済みませんが……。
 ……僕の不眠症の原因がわかったんです。ここへ入院してからというもの、どうしても眠れなかった原因が……。
 僕は飛んでもない呪詛《のろい》にかかっているのです。イイエ。虚構《うそ》じゃありません。卒業論文なんかに呪詛《のろ》われて、神経衰弱にかかったんじゃありません。別にチャンとした原因があるのです。事実の証拠が眼の前に在るのです。
 僕はね……ビックリしちゃいけませんよ。僕はね。すぐ横のベッドに寝ている支那の留学生ね。アイツに呪詛われているのですよ。あいつに呪詛われて殺されかけているのです。ですからこの室《へや》に居たら到底助かりっこないのです。
 エッ……どの支那人かって……? ……ホラ…
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