も、眼玉を剥いても、だれも相手にしなくなった。
こうなると彼等はスッカリ意気地がなくなってしまう。彼等は、今まで軽蔑し切っていた宵越しの銭をためる連中と一所《いっしょ》に、往来に並んでお救《すく》い米《まい》を貰わなければならなかった。焼けたトタンを以って乞食小屋を作らなければならなかった。そうして何でもかんでも喰うために働かなければならなかった。引き続いて地震がガラガラと来るたんびに、彼等はとりあえず宵越しの喰い物を準備しなければならなかった。
彼等の気概やプライドは、こうしてすっかりタタキつぶされてしまった。彼等がこのパスを誇りとしていただけ、それだけ屁古垂《へこた》れ方もヒドかった。彼等はとうとうまずいものを喰って、安ッポい身のまわりで我慢する気になってしまった。パスの代りに宵越しの銭をためねばならなくなった。
但、これは当分の間だけで、彼等は遠からず、昔の景気に帰るのかも知れぬ。彼等の居どころがあらかたきまって、「かお」のパスが利くようになれば、昔のようにタンカを切り、肩で風を切るようになるので、結局、江戸ッ子復興の途中にあるのかも知れぬ。
それを記者は、江戸ッ子が衰滅して行く途中と見ているのかも知れぬ。
亡国的避難民根性
たとい、これを彼等「江戸ッ子」が息を吹き返しつつある一時の現象と見ても、最早《もはや》非常な立ち後《おく》れになっていることはたしかである。彼等が今から如何に猛烈な馬力をかけても、この滔々《とうとう》としてみなぎり渡る新しい東京人の勢力には到底|敵《かな》うまい。
過去何百年の太平に依って洗練された、極めてデリケートな彼等の趣味と生活とは、もう見る見る中《うち》に、新しい荒っぽい新東京人の生活と趣味に圧倒されてしまいつつある。
彼等の大好きな芝居や、浪花節《なにわぶし》や、寄席がだんだん這入らなくなって来る。江戸趣味の喰い物店、又は渋い趣味のものを売るいろいろの店なぞが、次第に、ケバケバしい硝子《ガラス》瓶を並べた酒場《バー》やカフェー、毒々しい彩りを並べたショーウインドに追いまくられて行く。気の利いた凝った趣のあるビラ、昔風のなつかし味のある簡素な看板なぞは、活動や、缶詰や、最新流行洋式雑貨なぞのデコデコのポスターに蔽い隠されて行く。同じ絵葉書屋の店でも、芸妓や役者の写真は何となく光らなくなって、汚い歯をむき出した活動男優や、化け物みたいな女優のソレが日に増し幅を利かして来る。
こうした現象は、新東京の街をあるく人の眼にイヤでも這入るところで、彼等の勢力が次第に弱って行く気持ちを、云わず語らずのうちにあらわしているのではあるまいか。
いずれにせよ彼等江戸ッ子は、こうして精神的、物質的に無力になりかけていると見ねばならぬ。殊に避難バラックの住民の多数を占めている「江戸ッ子」が最近に見せている気分は、この気味合いを最も明らかに見せているので、一言で云えば、唯呆れ返るほかはないのである。
彼等は避難民バラックに居て、芸者を落籍《ひか》せて、茶の湯をやり、毎朝ヒゲを剃り、上酒を飲み、新しいにおいのするメクの股引を穿《は》いて出かけるだけの生活の余裕を持っている。これはその筋のしらべであるが、彼等の中では百五十円以上の金を取るものがザラにあるそうである。
ところが、一度当局の立ち退き命令にぶつかると、彼等の態度は俄《にわか》にちぢこまってしまう。
「おまえたちはみんな相当の収入があるではないか。もう立ち退けぬことはあるまい。今は不景気で家賃も高価《たか》くないから、そんなに困ることはあるまい。東京市民の税金で東京市民のために作った公園だから、そういつまでも、みっともない家で塞いでいるわけに行かぬ。東京の恥、日本の恥だ。無理なことをせぬように何ヶ月前からちゃんと予告してあるのだ。この際是非立ち退いてくれ」
と、噛んで含めるように腰弁から説明を受けながら、チュウとも云い得ず首をちぢめている。そうして立ち退くかと思うと、矢っ張りグズグズして、屋根の破れに莚《むしろ》をのっけたり、壁の穴に紙を貼ったりしている。
とうとう当局で業を煮やして、強制的に立ち退かせようとすると、
「われわれはほかに行く力が無い。われわれの生活を奪うのは残酷ではありませんか」
と社会主義の腐ったような理窟を、憐《あわれ》っぽい声で並べて動かないので、始末におえない。
「それは一種の復興気分かも知れぬが、あまり情ないではないか。ほかの市民がちゃんと家賃を払って生活しているのに、お前たちだけ出来ないということはない。飽くまでもお情にすがって、只の家賃にしがみ付いて暮そうという、なまけた乞食のような心を取り去って、この際是非一つ奮発して立ち退いてくれないか」
と市では今一度念を押したが、それでも返事をし
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